地龍の剣25

   峰山家の秘密の巻3

「この話はこれ位にして、ボチボチ昼近くでしょう。家のかみさんが隣でうどん屋をやっているので、皆さんで食べていって下さい。」

と吉蔵は言いながら草履をはいて、隣のうどんタヌキ亭に皆を案内した。江戸の町を北から南に歩いてきたので、皆小腹が空いていた。暖簾を潜ると、甘い味噌の匂いが充満した暖かい空気に包まれた。

「いらっしゃいな。」

女の声が奥から聞こえた。

「お政、峰山様のご子息の龍之進様だ。暖かいうどんをご馳走してやってくれ。」

吉蔵の大きな声に、四十くらいの女房のお政が出てきた。

「あら、龍之進様とおっしゃるのですか。お初にお目にかかります。吉蔵の女房のお政です。小さなうどん屋ですが美味しいですよ。今後ご贔屓にして下さいな。」

お政は意外とかわいらしい声で、愛嬌のある顔をしていた。

「ばか、自分で美味しいうどんと言う奴があるか。」

吉蔵の言葉に、お政は一寸舌を出して言った。

「そうだけど、お前さんいつも美味しい美味しいと言って食べているでしょ。」

「ばか、あれは冗談だ。」

二人の会話に龍之進はクスッと笑ってしまった。仲の良い夫婦のようだ。しばらくしてお政が湯気の立つうどんを四つお盆に載せて持って来た。味噌汁仕立てのうどんで、上には天かすとネギ、それに大きなハマグリが載せてあった。少し薄目の味噌味で潮の香りが食欲を誘った。皆は一口食べると美味いと言って、その後はしゃべりもせずに食べてしまった。龍之進が吉蔵とお政に言った。

「ご馳走様。美味しかったです。このうどんは貝の出汁が効いていて中々の味ですね。」

「家のかかあのうどんは天下一品でしょ。マー、これだけが取得ですがね。」

「お前さん、もう一度言ってごらん。うどんだけとは何ですね。他はまるっきりダメみたいじゃないですか。もう他の事はやってあげないから。」

お政はそう言うなりそっぽを向いてしまった。慌てたのは吉蔵だ。

「御免、悪かった。言い方が拙かった。うどんを褒めるためにあんな言い方になっちまったのだ。許してくれ。」

吉蔵の慌てっぷりに、横を向いていたお政はゆっくりと吉蔵に向き直った。

「お前さん、本当かい。嘘を言うと次は許してやらないよ。仕方ない、今日は仏のお政になってあげる。」

「アー、えらいこった。お政に名前まで取られてしまった。」

頭を抱えた吉蔵を見て、お政も一緒に皆で大笑いになったのであった。仏の吉蔵の意外な面を見た三人は、ホッコリした気持で次の町耳目の所に向かったのであった。

京橋まで戻り、右に曲がって東海道を更に南下した。お濠に架かる芝口橋手前の出雲町まで来た。煮売り宿駿河屋と大きな看板のある店に、佐吉を先頭に入っていった。

「御免なさいよ。米造さんは居るかね。」

声を掛けられた赤い襷の女中が奥へ呼びに行った。四十くらいの痩せた男の米造が出てきて、龍之進と挨拶を交わした。その後龍之進は一つ気になっている事を聞いた。

「米造さん、此処は宿だけでなく、煮売り屋もやっているのですか。」

「煮売りだけじゃないんで。この横奥で飯を食べたり、酒も飲めるんですよ。だから泊り客だけでなく、色々な人間が来るんで面白い情報は入りますよ。何度か峰山様のお役に立てた事がありましたな。」

「そうでしたか。それは心強いですね。それでは忙しい所お邪魔しました。」

龍之進は挨拶をして駿河屋を出た。そこで佐吉がある提案をした。

「次の所は浅草橋の近くですが、歩いて行くと一寸遠いので船で行くのは如何でしょう。」

「佐吉、それはいい案ですね。たまには船も良いでしょう。」

「それでは龍之進様、そこの芝口橋で待っていて下さい。先に行って舟を捕まえてきます。」

龍之進と弥助が橋の袂でしばらく待っていると、佐吉を乗せた小舟が近寄ってきた。二人が乗り込むと舟は三十間堀を北に向かって漕ぎだした。左は町屋、右は大名屋敷が見える。京橋川の出会いから右に折れ、八丁堀を東に進んで浅草川(現隅田川)の河口に出た。右は江戸の海だ。波が煌めいて眩しかったが、龍之進は久しぶりの海にじっと見入っていた。何故か海を見ながら氷川の山や樵小屋の事を考えていた。波の煌めきの中にお葉の顔が浮かんでいた。イワナ取りで川のせせらぎの照り返しに光るお葉の顔だった。しかし想いに浸る時間は直ぐに終わった。舟は左に向きを変えて、浅草川を遡上し始めた。

しばらく遡ると左に神田川が見えてきた。舟はそこに入ると浅草橋の南に接岸した。三人は舟を下り、道を日本橋に向かって少し逆戻りした。直ぐに横山町の煮売り宿奈須屋に到着した。丁度店先に主の木兵衛がいて、佐吉を見つけて呼びかけた。佐吉は手を上げて合図し、一行は木兵衛と共に家の奥に入った。そこで龍之進と木兵衛は挨拶を交わした。木兵衛は五十過ぎで白髪交りだが、顔は柔和で好々爺と言う感じだった。

「ところで木兵衛さん、この奈須屋は出雲町の駿河屋さんと同じような宿ですか。」

「その通りです。宿と煮売りと飲み屋をやっています。この町のすぐ横は馬喰町で、人足たちも飲みに来ます。色んな話が聞けて中々面白いですよ。」

「それでは私も来て、一杯飲みながら耳を傾けてみますか。」

「お待ちしています。自慢じゃねえが家の酒は美味いよ。下り酒ではないが、利根川上流の館林の美味い酒を仕入れているだよ。何でも龍神様の井戸水で仕込んでいるそうだ。スッキリしていて旨みのある飲み口で酒が進みますよ。」

「龍神様の酒ですか。私の名前が偶然にも似ていますね。何か因縁があるのかな。これは是非飲んでみなければなりませんね。」

佐吉と弥助が口々に叫んだ。

「龍之進様、その時は是非お供します。どんな味か飲んでみたいです。」

「今日と言う訳にはいきませんが、暇を見て皆で飲みに来ましょう。」

龍之進の許しに佐吉と弥助は喜んだ。その様子を親父の木兵衛はニコニコして見ていた。

次回 地龍の剣26 に続く

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。