地龍の剣26

   峰山家の秘密の巻4

奈須屋を出た所で佐吉が龍之進に言った。

「最後の町耳目は吉原です。」

「エ? 私の屋敷の近くのあの吉原ですか? 太夫や新造の居る?」

「そうです、あの吉原です。惣名主の庄司甚右衛門様が二代将軍の秀忠様に吉原の公認を願い出た時、密かに町耳目になって峰山様の手助けをするように言われていたようです。当然内密の話です。」

「そうでしたか。でも吉原には行った事がないので、どんな様子なのかよく分かりません。」

「龍之進様の歳で吉原がよく分かっている男はそうはいませんよ。もしいたらかなり危ない奴でしょうね。」

弥助も会話に加わった。

「私も行った事はありません。本当は行きたいんですけれどね、先立つ金がありません。」

その言葉で一同大笑いになったのだ。馬鹿ッ話をしているうちに吉原に到着した。周りは水路で囲まれ、その直ぐ内側は高い板塀で囲まれていた。これは遊女が逃げるのを防ぐためであったが、遊郭に来た人を見られないようにする事にも役立っていた。真ん中の入口には大門があり、左には奉行所配下の番所、右には吉原の木戸番小屋があった。佐吉は木戸番小屋の入口で見張り番をしている三十くらいの男に近寄った。

「与助さん、甚右衛門様を呼んできてくれないかね。峰山様のご子息をお連れしたとお伝え下さい。」

言われた与助は小屋の奥にいた男に向かって

「ちょっくら惣名主の所に行ってくるから、代わりに見張り番をしていてくれ。」

そう言い残して足早に廓の中に入っていった。しばらくして木戸番小屋に小柄な老人が姿を見せた。白髪交じりで六十歳近い老人だが、顔色良く穏やかな顔付きをしていた。

「お待たせしましたな。峰山様にはこんなに立派なご子息がいらっしゃったのですね。私が庄司甚右衛門です。お見知り置きの程よろしくな。」

老人とは思えぬ以外に張りのある声で言った。龍之進も自己紹介の挨拶をした。すると甚右衛門は

「龍之進殿、一寸儂の家でお茶でも飲んでいきなされ。」

と言うとスタスタと吉原の中へ入っていった。龍之進は二人にそこで待っているように言って、慌てて老人の後を追った。老人は大通り右側の最初の妓楼西田屋に向かった。しかし入口でなく右角にある小さな戸を開けて龍之進を待っていた。入ると中には土間があり、その奥は十畳程の小奇麗な部屋があった。そこに座ると直ぐに小さな禿(かむろ)がお茶を持って来た。老人は一口飲むとゆっくりと話し出した。

「龍之進殿、失礼ながらお歳は幾つかな。いや何、他意があるわけではない。普通なら初めてこの吉原に来れば、おどおどしたりきょろきょろしてしまうものです。それが龍之進殿はゆったりと構えておられる様にお見受けしますがな。」

「甚右衛門様、私は十六歳です。去年元服して直ぐ剣の修行に行き、数日前に江戸に帰って来たばかりです。江戸の町や仕事に慣れていくのに精一杯で、こう言っては何ですが、吉原という場所に特別な感情はありません。」

「ホホー、成程。普通の人とは器が違う様ですな。ところで剣術の修行はどのようになさったのかな。どこか山にでも籠りましたかな。」

「青梅街道奥の氷川の山で一年半修行してきたばかりです。」

「ホー、剣の腕前は上がったと思いますが、免許皆伝になりましたかな。」

「世間で言われる何流という剣ではありません。父の教えの元に、自分で工夫した剣を編み出しました。たまたま伊東一刀斎先生にお会いでき、修行の結果を見てもらいました。」

「オオ! 一刀斎殿に教えを受けたのか。ではさぞかし凄い剣であろうな。」

「いえ、人と立ち会った事がないので、凄いかどうかは分かりません。熊とは立ち会いましたが。」

「熊とな。それは凄いことだ。龍之進殿が此処にいるという事は、勝ったという事ですな。」

「いえ、勝ち負けという事ではありません。熊が私と出会っても私に噛み付かない方が良い、という事を理解してもらっただけです。山では動物も友達ですから。」

「成程、龍之進殿の性格が分かる解決法ですな。しかし動物の方が率直ですな。人間の場合は意図をもって悪事を働きますので、矯正することは難しいですな。」

「私もそう思います。が、目明しの仏の吉蔵親分の様に、悪党を悔い改めさせるやり方もあると思います。でもどうにもならない本当の悪は、切って捨てる以外に方法はないとも思っています。」

「龍之進殿から切って捨てるという言葉が出るとは思いませんでしたな。世の中の大勢の人を守るためには、極悪人にはそうするより方法がありませんな。若いのにそこまでの覚悟をなされているのは中々出来ない事です。私も龍之進殿のお手伝いを精一杯させていただきます。」

「甚右衛門様、ありがとうございます。その時はよろしくお願い致します。でも本当はそんな時が来ない事を願っています。」

こんな会話の中で、甚右衛門は龍之進を自分の孫の様に感ずるようになっていったのだった。吉原には幾多の男たちがやって来るが、こんなに爽やかで真っ直ぐな漢は見た事がなかった。出来れば自分の傍らにいて、吉原を守ってくれればどんなに心強いかと思った。しかし江戸幕府、いや江戸全体を守る事になる男を、吉原のためだけに使う事は出来ないと諦めざるを得なかったのだった。

次回 地龍の剣27 に続く

前回 地龍の剣25

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。