地龍の剣41

   怪しい旅浪人の巻

道灌山での大捕物の二日後は大晦日前の三十日、峰山家は大忙しだ。朝早くから餅つきの準備を始め、もち米が蒸し上がってつき始めた。一番臼のつき手は龍之進、手返しは妹のさちだ。餅をつきながら龍之進は、氷川の清兵衛の屋敷で餅つきをした事を思い出していた。その時の手返しはお葉で、熱い餅をひっくり返すお葉の赤くなった手が龍之進の脳裏に焼き付いていた。そのため今手返しをしている妹がお葉に見えてきてしまうのだ。会いたい気持ちをお葉に届けようと、杵音高く龍之進は餅をついていたのだった。

一方同じ頃、氷川の名主の屋敷でも餅つきが行われていた。龍之進はいないので例年通りつき手は清兵衛と音吉だった。返し手はお葉が務めていた。お葉も昨年の龍之進と共に餅をついた思い出に、恋しさが募るばかりであった。想いを込めて手返しをしているうちに、会えない悲しみの涙が頬を伝って臼の縁に落ちた。でもそれに誰も気付かなかった。しかし二人の想いを察したかのように、高い空の上では江戸と氷川の杵の音が響き合っていたのであった。

正月も明けたある日の事、浅草の水神組の家の前に一人の旅浪人が立っていた。しかし入口には水神組の看板は無く、日本橋水運と書かれた看板が架かっていた。旅浪人はおかしいなと思いながら近辺を歩いてみたが、水神組という名は何処にも見当たらないのだ。喉が渇いてきた浪人は、近くにあった間口が一間半ほどの小さな煮売り酒屋に入った。酒を注文してゆっくり飲み始め、しばらくして親父に話し掛けた。

「親父、前に来た時には水神組があったのだが、今は見当たらないが何処かに移ったのかな?」

「お侍さん、水神組は潰れましたよ。」

予想だにしない親父の言葉に浪人は仰天した。

「何? 親父、それは無いだろう。手広く事業をやっていたから潰れるわけがない。」

「お侍さん、金が無くて潰れたんじゃないんですよ。水神組が女の子を攫って売り飛ばしていたんですよ。それを一人の若い侍が知って、奉行所を動かして水神組を潰したんですよ。」

「何? 若い侍? それで水神組の源之丞親分は如何なったのだ?」

「用心棒の浪人十人は全員切られ、最後に親分も若い侍に切り殺されたという事です。」

「そんな筈は無い。親分の剣の腕前は半端ではないのだが? もし切り殺されたと言うならその若侍は相当な腕前だが? それでその若侍の名や素性は分かるか? 親父。」

「お侍さん、そこまでは分からねえ。もしかしたら子分達が知っているかも? でも皆牢屋に入っていますから、確かめようがないと思いますよ。」

浪人の顔は会話が進むにつれて青くなっていった。じっと俯いて何か考えていたが、猪口に残っていた酒をグイッと飲み干すと、お代を置いてフラッと外に出て行った。その時思わず小声で独り言を言ったのだった。

「兄が切られたのか。必ず仇を取る。」

煮売り屋の親父はその声をはっきり聴いていた。

この旅浪人は、源之丞の弟、笹山右京であった。兄は侍からやくざの親分に身を落としたが、右京は剣の修行と仕官を探しながら全国を渡り歩いていたのだった。所持金が少なくなると、兄源之丞に無心するために年に一度ほど訪れていた。しかしそれが今は無一文の身になる事が迫っているのだった。

   一刀斎と再会の巻1

正月の三箇日、龍之進は稽古を怠らなかったが、心は平穏であった。人攫いの水神組の壊滅で、子供は思いっきり遊べて、親は安心して仕事が出来るようになったのだ。その事は龍之進にとっても嬉しい事であり、自分の役目を全う出来た事に誇りを持つ事が出来たのだった。しかしいつまでものんびりしているわけにはいかない。何時、手強い敵が現れるか分からないのだ。だが一人稽古は惰性になりがちで、そうなると剣の上達は難しいのだ。それを恐れた龍之進は父清之進に相談した。

「父上、一人稽古にもいささか飽きが来て、このままでは上達が難しいかと思われます。そこで下総国の小金原に居られる一刀斎先生の所へ行って、修行をしたいと思いますが宜しいでしょうか。」

「一刀斎先生の所か。それは良い考えだ。一か月位の修行なら構わん。行って来なさい。」

という事で、龍之進は明後日出発することになった。出発する日の朝は快晴であった。二年前に青梅街道に修行に旅立ちした時は、見送る皆の顔に悲壮感が漂っていたが、今回は流石に平静だった。龍之進は先ず浅草に向かった。といっても目と鼻の先ではあるが。水神組の店は日本橋水運に替わっていて、活気が感じられる雰囲気だった。日光街道を更に歩いて千住大橋を渡り、千住宿に入った。その千住宿を抜ける北端近くで日光街道から右に折れて水戸街道に入った。そして亀梨村(現在の亀有)を過ぎ、中川を渡し船で渡り新宿(にいじゅく:葛飾区)に着いた。

ここまでで一刻半ほど掛かり、喉が渇いて茶店に寄ったのだった。この新宿は成田山に通ずる佐倉街道との合流点で、茶店などは新年の成田山詣での旅人で混雑していた。辛うじてある茶店の奥に席が空いていた。お茶と豆腐の味噌田楽を注文して、賑わいを見ながらゆったりと休憩したのだった。甘い山椒味噌の田楽で元気の出た龍之進は、再び歩き出した。歩き出して直ぐに佐倉街道との分岐を右に見て、真っ直ぐに水戸街道を進む。すると江戸川に出たが、此処も橋はないので渡し船で対岸に渡った。そこが松戸宿であった。

此処は水運が盛んで、海からの魚などが陸揚げされている賑やかな宿であった。だがゆっくりと見物することなく素通りして、次の小金宿に向かった。松戸宿と小金宿の間にあるのが小金原である。ここは他の農村と様子が少し違っていた。田畑は少なく大きな林や原野が大部分を占め、小さな集落がその間に点在している。ここら辺一帯は、幕府の狩場と馬の牧場があるためだった。そして道は原野の中や林の中を延々と続くのだ。幕府の管轄でなければ、盗賊が出てもおかしくない様な場所であった。その為一刀斎先生が何処にいるか、見当の付けようが無いのだ。龍之進は少し歩を速めて、昼過ぎには小金宿に到着した。

次回 地龍の剣42 に続く

前回 地龍の剣40

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。