地龍の剣32

   人攫いの巻2

「お侍様、娘を助けてくれてありがとうございました。お礼の言いようもありません。」

粗末な野良着を着た農夫は、何度も何度も頭を下げてお礼を言った。

「兎に角、助かって良かった。直ぐ家に帰りなさい。また変な奴が出ないとも限りませんからね。」

龍之進がそう言うと、親子は又何度も頭を下げて帰って行った。龍之進は、この三人組が水神組の者だと分かったので問質しもせず、足早に江戸の町へ帰って行った。神田大工町に姿を見せた龍之進は、目明しの鬼の勇五郎の家を訪れた。昼前の勇五郎の家からは、三味線に合わせて歌う女の声が聞こえてきた。戸を開け呼びかけると三味線の音が止み、勇五郎が答えた。

「龍之進様か、そこでは寒いから奥にお上がり下さい。」

龍之進は奥に上がって火鉢の横に座った。勇五郎親分が言った。

「今日も道灌山に行って来なすったか。それであっしに用事は何でしょうな?」

流石に目明しだ。江戸の町を駆け抜ける若侍がいるという噂を聞いて、その若者が龍之進であることを突き止めていた。そして行先まで掴んでいたのだ。龍之進は驚いて答えた。

「流石に勇五郎親分だ。となれば話は早い。その道灌山で人攫いがあったのだ。」

そして先ほどの道灌山での出来事を、掻い摘んで話したのだった。

「やはり水神組でしたか。実を言うとこの半年位、女の子が攫われる事件がよく起こっているんですがね、誰が攫っているのか分からないんですよ。尤も分かっていればお縄になっているんですがね。あっしの感では浅草の水神組が怪しいと睨んでいたんですが、尾尻を出さないんで如何にもならなかったんですよ。」

と、勇五郎は苦々し気に言った。その時女房のお滝がお茶を持って来た。

「龍之進様、お初にお目に掛かります。家内のお滝です。どうぞ宜しく。ところでお前さん、三味線弾きの女衆の噂では、攫われた女の子は大店や風呂屋、旅籠などに売られている様よ。中には吉原に売られて禿(かむろ)になった子もいるとか。」

「龍之進様、お滝の言っている事は間違いないんで。儂もその線を追っているんですが、女衒が二枚も三枚も噛んでいるんで、犯人がはっきりしないんですよ。」

「親分、攫った子供をその日の内に売り飛ばすわけではないと思う。必ず隠す場所があるはずです。そこを見つけれるかどうかですね。」

「分かりやした。その線を追ってみます。」

そんな打合せをして龍之進は屋敷に帰って来た。直ぐ父清之進に今日の道灌山の一件を話した。清之進は黙って聞いていた。聞き終わると上を向いてウームと考え込んでいた。

「水神組の悪い話は時々耳に入っておる。今まではやくざの悪さなので大目に見ていたが、人攫いは許せないな。しかもあどけない女の子では断じて許せん。ここらで水神組を壊滅させねばならない。龍之進、佐吉と弥助も使って必ずその女の子の隠し場所を見つけるのだ。よいな。」

父の言葉に龍之進は久しぶりに胸が高鳴った。龍之進にとっては初めての仕事になるのだ。理想を言えばこんな仕事は無いに越したことはない。しかし世の中は悪があるのが現実だ。人攫いの一味を壊滅させて、女の子達を取り戻すのだと自らを鼓舞していた。

その頃浅草の水神組では、親分の源之丞が主な子分を集めて怒りをぶつけていた。

「大三、てめえ侍を二人も連れていきながら何という様だ。如何してこうなった?」

肩から胸に晒を巻いた大男の大三は、痛みに耐えながら事の経緯を説明した。

「攫うとこまでは上手くいったんですが、道灌山の上に若侍がいて、下りてくるのが速いの何のって。アッという間に儂らの前に立ちはだかったんで。用心棒二人もアッという間に倒されてしまったんで。儂も匕首で突っ込んで行きやしたが、何せ相手は長い木刀なので肩の骨を折られてしまって。」

「エエイ! 煩い! 御託を並べるのは止めい! この邪魔した若造を知っている奴はいないか?」

と叫ぶ親分に、ある子分が返事をした。

「親分、そう言えば一月ほど前に、堀留町の河岸で組の若い衆三人が、若侍に叩きのめされましたね。あの時も木刀でなかったですか。」

「権次、よく思い出した。そう言われれば確かに同じ侍のような気がするな。堀留町に毎日見張りを出せ。必ず探し出すんだ。ただし手は出すな。見つけたら直ぐ知らせろ。」

その一方で龍之進は、そんな会話が行われていたとは露知らず、家族と静かに夕餉を食していた。龍之進の頭の中でフトある考えが浮かんだ。

…後十日余で正月になるな。事件を解決するために氷川に行っている暇はないな。お葉さんと一緒に餅つきは出来そうにないなあ。そうだ、手紙だ、手紙を出そう…

急いで夕餉を終え部屋に戻った龍之進は、名主の清兵衛とお葉宛の二通の手紙を書いた。清兵衛への手紙はお礼やら近況報告でスラスラと書けたが、お葉の方はどう書いてよいのか、剣の様にはスパッと書けないのだった。筆の歩みは遅く、龍之進の部屋だけ灯りが遅くまで灯っていた。

翌日の朝餉の最中に、妹のさちが龍之進に話し掛けた。

「兄上、昨夜は遅くまで起きていた様ですが、何をなさっていたのですか。」

突然の質問に龍之進は慌てた。出来れば家族に知られずそっと手紙を出したかったのだが、龍之進の性格として嘘は吐けなかった。

「あ、何、いや手紙を書いていただけです。」

その慌て様にさちはピンと来るものがあった。

「兄上、お葉さんに書いていたのでしょう?」

「いや、清兵衛さんにも書いたよ。」

龍之進は図らずも白状してしまったのだった。

次回 地龍の剣33 に続く

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。