地龍の剣21

   お別れの巻2

食後の一休みをしている時、音吉がある提案をした。

「龍之進様、本仁田山までどちらが速いか競争しませんか。修行の成果が如何なのか、私も見てみたいのです。」

「音吉さん、是非やりましょう。私も修行でどの位走れるようになったのか知りたいのです。」

と龍之進は賛成した。そこで音吉は言った。

「龍之進様、実は清兵衛様が、龍之進様と私のどちらが速いか試してみろ、と言われたのですよ。最初にこの山に来た時、龍之進様は私の山歩きについて来れなかったですよね。清兵衛様はそれを聞いて、龍之進様が修行すれば音吉は多分負ける、と言われたのですよ。」

「そうでしたか。勝ち負けは別にして、これから頂上までひとっ走りしましょう。お葉さんはここで待っていてください。半刻と少しで戻って来ます。」

と龍之進は言って、二人は小屋の外に出て走り始めた。龍之進は音吉の後をぴったりと付けて走った。半分ほど行った所で斜面が険しくなってきた。音吉はここからが勝負と思って更に速く走り始めた。たいていの者はここで音吉について来れなくなるのだが、今は後ろから龍之進が同じ速度に上げて追ってくる。ここまでの展開は、音吉も想定していたので驚かない。更に速度を増して走り始めた。

すると後ろの足音が遠のいていく。やはりこの速さでは龍之進様でもついてくる事が出来ないな、と一安心したのだった。でもこの速さをずっと保つ事は音吉でも出来ない。少し速度を落とそうかと思った時、後ろから凄い勢いで走ってくる足音が聞こえてきた。音吉は慌てて後ろを振り返った。信じられない事に、龍之進がすぐ後ろまで来ているのだ。音吉がアッと思った時には、龍之進に抜かれていた。

音吉も慌てて後を追いかけるが、離されるばかりであった。結局音吉は一町ほど離されて頂上に着いた。龍之進は涼しい顔で木の根元に座っていたが、音吉はゼイゼイと荒い息で、しばらくは口も利けなかったのだった。

「速い! 負けました。」

と言うのが音吉にとって精一杯であった。音吉の息の整うのを持って、二人は一緒に駆け下っていった。二人が小屋に戻って来たので、お葉は汲んでおいた水を差し出した。二人とも息も継がずに水を飲み終え、

「お葉さん、ありがとう。」

と口々に言って、一息入れたのであった。お葉が囲炉裏端に座った二人を見て言った。

「どちらが速かったの? やはり音吉さんかしら?」

音吉は頭をかきかき言った。

「お葉様、龍之進様だよ。速いのなんのって、一町も離されました。本当に氷川の大天狗だよ。」

お葉は龍之進の方が速いと確信していたので、頷きながら言った。

「龍之進様も大変ですね、名前がたくさんあって。小天狗だ、大天狗だ、金太郎だとか。そうだ、名前を変えたら如何かしら。峰山金太郎がいいかしら?」

「お葉さん、それは困る。赤い腹巻をしなければならなくなってしまいます。」

と龍之進が真面目に答えたので、皆その姿を想像して、大笑いとなったのであった。それからは話が弾んで、昨日の雨に濡れたお葉の心はすっきりと晴れていた。龍之進が江戸に戻っても、必ずお葉に会いに来てくれると感じていた。しばらくすると清兵衛の下男二人が下から上がってきた。そして皆で小屋を清掃し、分担した荷物を持って屋敷へ下って行った。龍之進は小屋を出るときに、小屋と山に深くお辞儀をして、感謝の気持ちを表していた。お葉だけが、その龍之進の姿をそっと見ていたのだった。

屋敷に着いたのは未の刻(午後二時)を過ぎていた。お菜実が、お風呂の用意ができていますと言うので、お湯に浸かる事にした。一年半に及ぶ修行の中で、最も気持ちが解放されたお湯であった。さっぱりとしてお風呂を出てくると、囲炉裏端に清兵衛一家と音吉が座っていた。龍之進が座ると、

「龍之進様、一年半の修行お疲れ様でした。」

と清兵衛が言って、お酒を龍之進に注いだ。龍之進も清兵衛の杯に注ぎ、音吉にも注いだのであった。清兵衛が言った。

「音吉、今日は特別だぞ。それでは龍之進様の修行の成就に乾杯!」

三人は唱和して飲み干した。龍之進も酒の味が少しわかってきて、美味しそうに飲んだのであった。龍之進は皆にお礼の言葉を述べた。そして最後に付け加えた。

「もう一人、お礼を言いたい方がいますが、今此処にはいません。一刀斎先生です。もし先生に会わなかったら、修行は終わっていなかったでしょう。有難い事です。」

すると清兵衛が考えながら言い出した。

「人には"気"というものがあるそうですが、おそらく龍之進様の"気"に、一刀斎先生の"気"が感応して此処に来られたのでしょう。偶然に来られたのではなく、必然の来訪だったと思いますよ。」

「成程、そういう風に考えると、一刀斎先生が此処に来られたのが納得できますね。」

と龍之進はある経験を思い出しながら言った。龍之進は動物で不思議な体験を持っていた。それは山の中で何回か出会った熊の事だが、今日は熊と会いそうだなと思うと、やはり熊と遭遇する経験を持っていたのだった。

次回 地龍の剣22 に続く

前回 地龍の剣20

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。