地龍の剣63(最終回)

   騒動の終結の巻

次の朝、昨夜の上様暗殺未遂事件は箝口令が敷かれていたが、瞬く間にその話は江戸城内に広まっていった。その最中に駿河大納言の屋敷より、病死による家老交代の届け出がなされた。しかしほとんどの人は、昨夜の事件とこの届出が関係するとは思ってもみなかった。御前は昨夜の将軍暗殺が失敗した事をその夜の内に掴んでいた。そこで最後の夢破れた御前はその夜遅くに潔く切腹し、対外的には病死という事で真実を覆い隠し、主の駿河大納言に罪が及ばないようにしたのだった。

一方家光は、峰山親子の活躍により自分の暗殺が阻止された事と、風魔が完全に壊滅された事に安堵していた。そして暗殺を計画した駿河大納言の家老が切腹した事を老中から聞いていた。既に峰山清之進からは、大納言本人はこの暗殺計画を全く知らなかったという事も聞いていた。そんな事から家光はこの事件で弟の大納言忠長を罰する事無く、事件自体も蓋をして公の記録に留めさせる事は無かった。

襲撃事件二日後、峰山屋敷を訪れた二人の女がいた。お風と育ての親のお島であった。龍之進はお風を助けた事を、あの襲撃の後直ぐに父清之進だけに話していた。龍之進の話を黙って聞いていた清之進は、

「ウーム、それも一つの解決方法だな。思うようにやってみなさい。」

と言って理解してくれたのだ。清之進は息子の龍之進を一人前の男として認めていたのであった。

居間に通された女二人は龍之進と話し始めた。

「龍之進様、お風です。先日お助け頂いた事、大変有難うございました。私が今まで縛られていた復讐の地獄から抜け出る事が出来ました。改めてお礼を申し上げます。」

さっぱりとした着物に、長い髪を赤い布で後ろに束ねた、清楚な姿のお風であった。そしてお島が話し始めた。

「龍之進様、お初にお目に掛かります。お風様の育て親のお島で御座います。お風様をお助け頂き本当に有難う御座いました。御推察の通りお風様は風魔小太郎様のお孫様です。あの役人達の襲撃の時お風様はまだ赤ん坊で、私と夫の百蔵が抱きかかえて逃げ、家康様の捕縛の手を逃れました。あの襲撃でお風様の両親も含め風魔一族は全滅してしまいました。その後等々力溪谷の隠れ家でお風様をひっそり育ててまいりましたが、私に万助、千助という男の子が二人生まれ、夫が風魔一族の復讐のために三人に忍術を教えたのでございます。でもその為に夫も子供二人も先日の襲撃の際亡くなってしまいました。やはり龍之進様の言う通り、復讐は不幸を産むだけです。復讐を断ち切って、新たな道に進むことが大切だと身に沁みて分かりました。お風様には、女として幸せな道を歩んで頂きたいと思っています。どうか今後の事をよろしくお願い致します。」

お島の長い話が終わって、龍之進がゆっくりと口を開いた。

「お島さん、よく分かりました。二人とも新しい道を歩くという決意は固いのですね。それでは今からは風魔一族の復讐という過去をキッパリ捨てて、これからの事を考えましょう。」

二人は深く頷いた。それを見て龍之進は更に言葉を続けた。

「忍者というのは今回の襲撃で使った様に、毒薬を作る事が出来ますよね。それと反対に痛み止めや切り傷を直す薬など、人の役に立つ薬も作れるのでしょう?」

「はい、毒薬よりは人の役に立つ薬の方がかなり多いのです。この私は、風魔では薬草のお島と皆に言われていました。」

「それは良かった。私が考えていたのは、その能力を生かして医者又は薬売りをやったら良いのではないかという事です。そうすれば人助けになり、生きていく目標というか張りが出て来ます。住む場所は我々の仲間が探します。如何でしょう?」

「龍之進様、それは良い考えですね。お風様、是非やりましょう。」

「お島、確かに良い案だけれど、私に出来るかしら?」

「大丈夫ですよ。薬草の使い方は既にお教えしてありますよね。また風魔しか使わない特殊な薬草は、等々力溪谷の隠れ家に少し栽培してあります。その他の薬草もそこで栽培しましょう。」

「だいぶ話が進んできましたね。後、こういう方法もあります。お島さんが薬売りをやり、お風さんはどこかの医者に弟子入りして、独り立ちできる技量を身に付ける、という方法も良いのではないかと思います。」

お風もお島も成程と頷いていた。

「まあ、最初は薬売りをやる店の場所を決めましょう。それは私に任せて下さい。」

二人のやる気の出た顔を見て、龍之進は肝心な話を切り出した。

「今までの経緯で分かるように、父と私は有る仕事に就いています。それを補佐してくれる仲間は十人程います。その仕事というのは、幕府の安泰と江戸庶民の安全な暮らしを守る事が役目なのです。ただそのためにはその仲間が少々足りません。出来ればお風さんとお島さんも、これに加わって頂ければ心強いのですが。しかし今は、新しい仕事に全力を尽くさねばなりませんから、少なくとも一年後の話になるかと思います。」

「龍之進様、御親切に色々有難うございます。その仕事の詳細は分かりませんが、江戸の皆様を守る仕事なら、今までの罪滅ぼしにお引き受けしたいと思います。お島共々新しい仕事に打ち込んでいきます。今後もよろしくお願い致します。」

「分かりました。こちらこそ宜しく。そして言うのが最後になりましたが、亡くなった三人の遺骸は父が貰い受け、この近くの正願寺に埋葬してあります。墓標に風魔とは書けませんから、〔風の百蔵、万助、千助の墓〕と書いて置きましたので分かると思います。帰りに会いに行ってやって下さい。」

二人は涙を流しながらお礼を言い、辞去したのだった。

   再度青梅街道への巻

十日ばかり後、江戸は桜がちらほらと見られるようになっていた。一昨年の春、桜が終わる頃に日本橋から出発して青梅街道を氷川まで、剣の修行の旅に出た事を龍之進は懐かしく思い出していた。お葉に会いたいという気持ちが日々強くなっていく。幸いな事に今の江戸は平穏だった。父に相談した。

「氷川の山へ少し籠って修行をしたいと思います。宜しいでしょうか。」

「ウーム、あの山で修行とな。いいだろう。一カ月程なら行って来なさい。儂も近いうちに行く心算でおるがな。」

父は朴訥な顔をしていても息子の気持ちは分かっていた。だが嫁にもらうには、一旦はどこかの旗本に養女に出してもらって、そこから嫁入りしてもらう事を考えていた。そしてその事をお葉の親の名主の清兵衛に、お願いしに行く心算であったのだ。養女先には島田南町奉行が良いかと考え、既に奉行に話をして内々に承諾を得ていたのであった。

それから数日後、皆に見送られて屋敷を後にした龍之進がいた。少し歩くと日本橋に出た。橋の中央から右手の江戸城を見ると、春霞の中に桜が咲いていた。龍之進の心の中にも桜の花が溢れ、その中にお葉の顔が見えていた。明後日にはお葉に会えるのだ。足取りも軽く日本橋を渡り終えた時だった。橋の脇から手拭いで顔を隠した女が、小走りに龍之進に近づいてきた。そして小石に躓いたのか、アッと言って龍之進に倒れ掛かって来た。龍之進は咄嗟に女を抱き留めた。

「危ない処でした。足元に気を付けて下さいね。」

「ハイ、有難うございました、龍之進様。」

「アッ! お蘭さんではないか!」

手拭いを取った女の顔を見て龍之進は叫んだ。お蘭は悪戯っぽく言った。

「一昨年でしたか、同じような事が有りましたよね。それをもう一度やってみたんです。でもあの時は財布を取ろうとしたのですけれど、今日は龍之進様の心を奪おうと思ってね……。」

「アッ、そう言えばあの時と同じ…… エッ? 心を奪う……?」

「……ウフフ……。冗談ですよ、冗談! それより早く行ってお葉さんを喜ばせてやって下さいね。」

「エッ? お葉の事を知っているんですか?」

「龍之進様、そういう事は隠していても直ぐにばれちゃいますよ。実を言うと、おさち様が教えてくれたのよ。」

「アッ、妹が言ったのですか? 余計な事を。」

「どっち道そういう事は直ぐ広まりますよ。もう隠すことは無いわ。大きな気持ちで行きましょう。それではご無事な旅を。お葉さんに宜しくね。」

言うだけ言うとお蘭は龍之進の前から横に退いた。龍之進はお蘭に頷くとまた歩き始めた。

「そうだよな。隠す事ないよな。皆に知ってもらった中で、自分がお葉を大切にしていく事が大事だよな。でも何だかお蘭さんが心配だな。心を奪うなんて真剣な顔をして言ったよな。想っていてくれたのかなあ?」

そう呟いた龍之進の足取りは少し重くなったが、江戸の町中を氷川に向かって確実に進んで行くのであった。お蘭は龍之進が見えなくなるまで見送っていた。先程龍之進に抱き留められた後に言った言葉は本心であった。今まで口にこそ出さなかったが、龍之進を想うお蘭だった。龍之進の妹のさちからお葉の事を聞いた時は、悲しくて眠る事が出来ない程だった。でも如何しようもない事だった。この日はお蘭の想いの決別の日だったのだ。龍之進の姿が見えなくなると、

「さあ、これで私の恋は終わりました。今日はやけ酒でも飲もうかしら。そして明日からまた頑張ろっと。」

そう呟くと、日本橋の上を下駄音を響かせて元気よく駆けて行くお蘭であった。

  終わり

 

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。