偽小判現るの巻3
翌日の午後、吉原の西田屋に龍之進が小判師の藤次を伴って姿を見せた。庄司甚右衛門に小判の鑑定結果を知らせるためだ。甚右衛門は藤次の偽小判だという説明に、やはりそうだったかと頷いた。そこで龍之進は一番知りたい偽小判の出所を訊いた。それが分かれば偽金作りの一味に辿り着ける手掛かりになるかもしれないのだ。
「あの小判を使われたお客様はどなたなのか分かるでしょうか。」
「あの小判は西田屋のお客様が使った金ではありません。この西田屋は吉原を束ねる仕事もしています。吉原の総ての妓楼から組合費の徴集も行っていて、その中にあった小判です。よって妓楼の特定も残念ながら出来ません。」
龍之進は分からないという答えにはガッカリしなかった。その答えを想定した上で藤次を連れてきたのだ。
「それならば甚右衛門様にお願いがあるのです。総ての妓楼にある小判を調べたいのです。調べるのは此処にいる小判師の藤次さんです。如何でしょう。」
甚右衛門は唸った。大変な仕事なのだ。早い話有り金を全て見せろという要求に近いのだ。吉原総ての妓楼を承諾させなければならない。出来ないと言って放っておくと、吉原中に偽小判が溢れる事態になってしまう事も考えられるのだ。甚右衛門はそういう事を龍之進に説明した。
「甚右衛門様、大変な事は承知しております。でも有り金総てではなくてよろしいかと思います。以前からある小判は大丈夫でしょう。最近流通した小判だけでいいと思います。」
「それもそうですな。考え過ぎでした。しかしそれでも総ての妓楼の承諾を得なければなりません。明日の午後、組合の会合を開いて説明し承諾してもらいます。それまで待ってください。」
次の日の吉原の組合の会合では、甚右衛門は纏めるのに苦労はしたが、自分たちが偽金を掴まされたくないという事で、小判の検査を承諾したのであった。次の朝、甚右衛門から承諾の連絡を受けた龍之進は金座に行き、小判師の藤次ともう一人の小判師を連れて吉原に向かった。吉原には妓楼だけでなく揚屋もあり、総て調べるのに十日程掛かりそうであった。龍之進としては調べが終わるまではジッと待つしかなかった。
材木町の大火事の巻
吉原の小判調べが始まって五日ばかり経った夜の丑三つ時、楓川を南に少し下った材木町三丁目の舟入り堀に一艘の猪木舟が接岸した。その夜は北西の風が強く、堀の水面は波立っていた。その揺れる舟から三人の男が岸に飛び移った。手には、油をたっぷり染み込ませてまだ火を付けてない松明を持っていた。この一帯は材木問屋が集まっていて、材木置き場が幾つもあった。そのうちの奥にある材木置き場に男たちは集まり、松明に火を付けた。
軒下の乾いた材木の何箇所かに火の付いた松明を置き、材木に火が付くのを黙って見ていた。材木が燃え上がったのを確認した男たちは急いで舟に戻り、楓川から日本橋川に向かって舟をこぎ出した。しばらくしてそこかしこの半鐘が気違いのように鳴りだした。暗い夜空に真っ赤な火が燃え上がるのを見て、男たちは首尾よくいったとほくそ笑んでいた。
火は北西の風に煽られて南の材木町四丁目、五丁目と移っていった。近くの日本橋通りは大騒ぎとなった。店の品物や家財を担ぐ人、大八車で運ぶ人で通りはごった返していた。しかし幸いな事に明け方には風はパタリと止んだのだった。火は材木町七丁目で止まった。しかし材木問屋は十軒程焼けてしまったのだ。
その日から材木価格は倍以上に跳ね上がった。焼けた材木問屋は大打撃だが、そうでない材木問屋は大儲けだ。奉行所は火事の原因調査に乗り出した。火元の材木置き場に松明の燃え残りが有り、火付けは明らかだった。奉行所の捜査の焦点は焼けなかった材木問屋六~七軒だった。犯人の的が絞れたと思った奉行所は念入りに調べたが、怪しい材木問屋はなかったのだった。
火事があった日の昼、龍之進の屋敷に日本橋水運の徳次郎が訪れた。
「龍之進様、火事で焼けた材木問屋の木島屋は、店にあった材木のほとんどを火事の前に別の場所に移していますぜ。」
「徳次郎さん、それは本当ですか。木島屋は貰い火で焼けてしまったので奉行所のお取調べの対象にもなっていません。」
「本当にも何もありません。その材木を運んだのは私の日本橋水運ですから。直ぐ材木の値段が高騰したと聞いて、焼けた問屋は可哀相に、だけど木島屋は材木を移しておいてよかったなと思ったんですよ。でもよく考えると、材木を移した途端に火事というのは何か引っ掛かるんですよね。それで早速お知らせに上がったのですよ。」
「徳次郎さん、よく知らせてくれましたね。調べる必要があります。それで移した材木は何処ですか。」
「大事な事を言い忘れました。神田川を遡って和泉橋の手前右の佐久間町です。川岸に材木置き場がありますので直ぐ分かります。」
龍之進はこの話を聞いて、直感で木島屋が火付けをしたのではないかと感じたのだ。父清之進に直ぐこの事を報告し、神田川沿いの木島屋の新しい材木置き場を見る事にした。川沿いなら舟で行く事にしようと、弥助を漕ぎ手にして一緒に行くことになった。神田川に入り和泉橋に近くなった所で、結構大きな材木置き場が見えてきた。大八車がたくさん集まっていて、材木を積んで和泉橋を渡って江戸の町へ入っていくのがよく見えた。龍之進と弥助は材木置き場から離れた所で舟を降り、その材木置き場に何食わぬ顔で近づいた。
すると入口に木島屋材木置き場と書かれた板が無造作に掛けられていた。そしてその回りを用心棒と思われる浪人が二人うろついていた。中を覗くと帳簿を持った番頭らしき男と、痩せているが目つきの鋭い浪人がいた。番頭は大八車に乗せる材木を男たちに指図し、それを帳簿に付けていた。龍之進の感が、番頭の横にいる浪人はかなりの使い手であると教えていた。そして勇五郎が作った強盗首領の笹山の人相書きと似ているなという気もしたが、遠目ではっきりと断定できなかった。この後龍之進は奉行所に行って木島屋の件を報告し、奉行及び山岸同心と協議した。結論としては木島屋はかなり怪しいがはっきりとした証拠は無く、しばらく様子を見ようという事になったのだった。
次回 地龍の剣52 に続く
前回 地龍の剣50
コメントを残す