地龍の剣10

  氷川の山 見分の巻2

音吉は樵も仕事の内であるから、急な坂でも平地と同じテンポで登っていく。しばらく行った所で音吉が振り返ると、龍之進は大して遅れもせず後を追ってきていた。自分は樵仲間でも山歩きの速さは一番だと自負していた。しかし山なんか歩いた事のない江戸生まれの男が、自分の後ろを涼しい顔をしてついてくるのだ。音吉は少なからず衝撃を受けていた。しかし佐吉の歩みは遅く、このままの速さで行くと動けなくなる恐れがあった。そこで音吉はゆっくり登る様に足の運びを変えたのであった。

それでも四半刻もかからず少し広い尾根に出た。そこにはちょっとした広場と、十畳程の広さの樵小屋があった。音吉が、

「ここは大休場(おおやすんば)と言います。住むならこの樵小屋が良いと思いますよ。板張りの小屋ですが、隙間風が入らないように作ってあります。屋根も板敷の屋根ですが、張替えしたばかりで雨は漏りません。中に入ってみましょう。」

と言って板戸を開けて中に入り、板で出来た窓を上に押し上げて突っ支い棒で固定した。小屋の中が明るくなり、真ん中に囲炉裏と奥に板敷があるのが見えた。

「ここで煮炊きが出来て、奥の板敷で寝ます。ここで良ければ明日布団を持ってきます。そして鍋、釜などはそこの棚にあります。」

と音吉が説明して、窓と反対側にある棚を指さした。そこには二~三人位の食事を作れる鍋、釜と茶碗が伏せて置いてあった。

「水は小屋の裏から少し下った所に清水が出ていますので、この樽に入れ持ってきます。」

音吉は入口の横に置いてある取っ手の付いた樽を指さした。龍之進は説明を聞きながらここで生活する姿を想像していた。そして充分に適応出来そうだと感じていた。更に自分一人の生活が出来る事に、少しワクワクする気持ちもあったのだった。龍之進は音吉に嬉しそうに言った。

「良さそうな小屋ですね。外にはちょっとした広場もあって稽古も出来ます。」

音吉もニコッとしてある提案をした。

「この尾根は大休場尾根と言い、半刻程登っていくと本仁田山の山頂です。この尾根は先ほどの登りと同様、結構急な登りです。この登り下りで足腰は鍛えられると思いますが、山頂まで行ってみますか?」

実は音吉のこの提案にある意図が隠されていたのだが、龍之進には知る由もなかった。その誘いに龍之進は素直に答えた。

「行きましょう。どんな山か知っておいた方が良いですね。佐吉は如何します?」

「龍之進様、今の登りで結構疲れました。私の足ではお二人についていけそうにありません。ここで待っています。」

「仕方ありませんね。佐吉はここで休んでいてください。音吉さん、早速行きましょう。」

と言って、二人は小屋を後にした。小屋の後ろには軒下に薪が山と積まれていた。これだけ薪があれば当分は薪の調達の必要がないな、と龍之進は考えながら尾根の急登に入っていった。実は音吉は龍之進の脚力がどのくらいあるか試そうと思っていたのだった。登る前はそんな事は考えもしなかったのだが、先程の龍之進の登りの脚力を見て試してみたくなったのだった。

最初はゆっくり歩き出した。そして次第に速度を上げ音吉の通常速度になった。坂は急で地面は木の根が這っていて、登るのには苦労する尾根道であった。しかし龍之進は音吉の後をピタリとくっついて登っていた。音吉は少し焦った。江戸生まれの者が山育ちの自分と同じ速さでついてくる事に。しかし龍之進が一日中剣術の稽古を素早い動きで行っていた事を音吉が知ったら、納得したかもしれない。

音吉は尾根を半分ほど行った所で、登る速度を上げた。龍之進はそれにすぐ気付き、その後を追いかけるように速度を上げた。始めのうちはついて行けたが、疲れが徐々に出始め、音吉の後ろ姿が小さくなっていった。龍之進は何とか音吉に追いつこうと必死に歩くが、急な尾根道に自分の足が進んで行かなくなった。汗だくになって登っていくと、急に平らな所に出た。その奥で音吉が座って微笑んでいた。

「龍之進様、お疲れ様でした。ここが本仁田山の頂上です。ここに座ってゆっくり休んでください。」

龍之進は荒い息を鎮めながら言った。

「イヤー、本当に急な尾根ですね。音吉さんの足は速い。参りました。」

龍之進の率直な言葉に、音吉は、

「龍之進様こそ凄いです。普通の人はこんなに速く歩けません。普段山に登っているなら分かるけど。江戸には山はないのでしょう?」

と、驚きの声をあげた。そこで龍之進は江戸での剣術の稽古の様子を話した。音吉は剣術は分からないけれど、そういう稽古なら足腰は普通の人よりかなり発達しているだろうと想像できた。そして山歩きの速かったことも理解できたのであった。龍之進の体は筋骨隆々には見えないが、独特の稽古の賜物で筋肉の強靭さと柔軟さが備わっていたのだ。龍之進は息を整えている間、ここで修行をして体を鍛え、この尾根道を走っても息が上がらないようにしようと誓っていたのだった。

次回 地龍の剣11 に続く

前回 地龍の剣9

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。