天台宗 仲仙寺 馬&微笑みの石仏

今回は長野県伊那市羽広にある天台宗のお寺「仲仙寺」の様子をご紹介したいと思います。このお寺は古刹で馬の観音様で有名です。特に今年は午年なので機会を作ってお参りするのもありかもと思います。また今までは私も知らなかったのですが、素晴らしい微笑みの石像が有りますのでそれも見ていただければと思います。なお見所が有り過ぎて100枚の写真を撮ってしまいましたが、厳選して36枚の写真を載せます。それでも長いですが気長に見ていただければと思います。

下の写真1- 仲仙寺のある羽広(はびろ)地区の風景です。畑の多い長閑な農村風景です。左側の山に入った所に仲仙寺はあります。手前の青いネットは伊那の観光施設「見晴らしファーム」のブドウ園の一部です。

下の写真2- 仲仙寺付近の地図です。参道は西向きに山(経ヶ岳)に向かって伸びていく坂道です。駐車場は公民館の所が一番広いしトイレもあります。考古資料館(閉館)の駐車場は狭く10台位しか止めれません。

下の写真3- 上の地図の右にある仲仙寺入口の大杉です。木と木の間に太い注連縄があります。聖域の結界を示しているのでしょうね。なおこの木は5人位で手を繋がなければ木を囲めません。この寺にはそんな木がたくさんあります。

下の写真4- 参道には色々な石碑や石仏が沢山あります。苔むしたり崩れたりしているものも多く字が読めません。実を言いますと難しい字が多いので読めないだけですが。この碑の頭の大きな漢字は蚕の昔の表記です。この漢字が蚕と分かったのは以前のブログ「木曽 黒川 白山御嶽神社」でこの字を使った石碑に会ったからです。次の字は玉に似ていますが点がもう一つ左側に付いています。本当は蚕玉様(こだまさまと読む)という儲けさせてくれるお蚕様の信仰があり、玉だけではなく金という字の上のカサを取って作った字ではないかと思います。真相は分かりませんがもしそうなら本心をチラッと見せた悪戯心が楽しいではありませんか。(もし間違っていたらごめんなさい。)

下の写真5- なんと微笑ましい石像でしょう。親子なのか? 夫婦なのか? 字は見当たらず分かりません。誰がどういう意味でこの像を建てたのか知りたいですね。

下の写真6- 仁王門が見えてきました。この門は傷んだためか平成に再建したようです。でも門の左右には1500年代作の金剛力士像が邪悪なものの侵入を拒んでいます。

下の写真7- これがその右側の金剛力士像です。500年も風雨に晒されていると下の方は痛みが激しいですね。こういう像は直しが出来ないのでしょうか?

下の写真8- 比較的新しい大きな石碑です。この石碑は第253世天台宗大僧正 恵諦(えたい)の言葉です。この「一隅を照らす」という言葉に表される活動を行ったパワーのある大僧正です。この言葉はいつの時代も必要な言葉、活動ですが、この言葉が要らなくなった時が現世が天国とつながった時でしょう。そんな時が来るのか来ないのか? 難しい事です。なお恵諦は明治28年(1895年)生まれ。昭和49年(1974年)に天台宗座主になられ、20年も務めた後、平成6年(1994年)に「仏様が見える」と言葉を残して遷化されました。

下の写真9- 六地蔵です。六地蔵とは死後の六つの世界(六道)において、そこに落ちて行った人を救うお地蔵様です。決して枯れ木も山の賑わいではありません。非常にありがたいお地蔵様です。そういえば焼酎で「六地蔵の夜仕事」という酒がありました。この焼酎は鹿児島県の神酒造が黄金千貫を使って作った香りのよい美味しい原酒です。ただ中々手に入りません。話が飛びすぎました。元に!

下の写真10- いよいよ仲仙寺の本坊です。此処には色々な古いものが何気なく置かれています。趣溢れる本坊です。

下の写真11- 本坊の正面です。戸には格調高い五三の桐の紋があります。でも本堂の観音堂には五七の桐の紋が入っています。現代は家紋なんて知らない人も多いと思います。江戸時代の武家の着物には家紋が入っていて、それが一種の名札みたいなものでした。

下の写真12- 縁側に置かれていたキイロスズメバチの巣です。直径が50~60cmくらい有り大きいものです。中で飾られていたものだと思います。寺の屋根の下に作った巣で、冬になってハチがいなくなって取ったものでしょう。

下の写真13- これも縁側に置かれていました。3人のお地蔵様です。古い六地蔵の半分かもしれません。和尚さんはこの地蔵の由来は知っているのかなあ?

下の写真14- これも縁側に無造作に置かれていました。が、これを見た瞬間、心の琴線に触れるものを感じました。この静かな微笑み。この世の全ての邪悪なものを取り去った、本当に純粋無垢な微笑みです。この石像の由来を和尚様に聞いたところ、数年前に亡くなった先代の和尚様が手に入れたそうで、由来は聞いてないとの事です。誰が製作したのでしょうか。

下の写真15- 普段使用している上がり口に置いてある像です。どれも味わい深い像で、こんな場所で良いのかと思う反面、奥深くに仕舞われては見る機会が無くなるしと思ったりでした。

下の写真16- 更に上の場所の右側に仏頭が置いてありました。ほう杖を突いているのかな。写真14の石像より少し色気がありそうなふくよかなお顔です。多分作者は同じではないかと思います。

下の写真17- さてもう一度入口に戻って彫刻をよく見てみました。瓢箪から駒ではなく瓢箪?から龍が出ている図ではないかと思います。瓢箪から駒は「木曽 黒川 白山御嶽神社」にもあり、そのものズバリの彫刻となっています。ここは馬の観音様でありながら何で龍になっているのか不思議ですね。

下の写真18- 本坊から林を通って本堂に向かう道沿いに枝を広げた楓の木がありました。頭上から緑の風が吹いて来るようです。この仲仙寺は紅葉の隠れた名所として知られていますが、この楓が紅葉色に染まるとあながち嘘とは言えない景色になるでしょうね。

下の写真19- 本堂の庭に出た所で経ヶ岳登山道の入口がありました。此処から経ヶ岳頂上まで約5時間弱の行程です。樹林帯の中の笹道をひたすら八合目まで登って行きます。面白い所は何処にもありません。ひたすら根気と忍耐を試せる登山となります。慈覚大師が816年に経木をこの山に埋めたのが経ヶ岳の名の由来であり、この仲仙寺建立の元となっています。

下の写真20- 鐘楼と山門です。鐘楼は平成に建て替えられたようです。この鐘は自分でつくことが出来ます。綺麗な余韻のある音を出せるかな? 山門は古いままの建物です。享保9年(1724年)に建立されました。大工さん用の木組みの文字も残っています。ところでこういった歴史的な建物には登記がされているのでしょうか? あれば見てみたいものです。

下の写真21- 当山の本堂(観音堂)です。天和2年1682年に建立、安永7年(1778年)に改修されました。とても静謐な森の中にある本堂には816年に慈覚大師が刻んだ十一面観音像が安置されています。60年に一度の御開帳で次回は2031年に予定されています。御開帳日は2030年には発表されると思います。是非とも拝見したいと楽しみにしています。皆さんもどうぞおいでなんしょ。

下の写真22- 正面です。本坊に比べて簡素な装飾(彫刻)です。でもよく見ると質の高い精緻な彫刻です。そして家紋が2つ、小さいけれど天皇家の「五七の桐」と徳川の「葵の紋」が見えます。何処にあるか探してみて下さい。

下の写真23- 中に入った正面です。天井には馬を題材にした絵が多く掲げられています。中央に吊るしてあるのは参詣者が鳴らす鰐口(わにくち)で伊那市の有形文化財に指定されています。

下の写真24- 高貴なお方がお馬に乗っている絵です。どういう場面の絵なのかは分かりません。かなり古い絵と思います。

下の写真25- 武者が龍と戦っている図です。寛政9年(1797年)に奉納された絵です。在住の西村豊芳という人と同姓の幸七という人が献納した事が分かります。ところで龍です。本坊の彫刻にも龍がありました。やはりこの寺と龍には因縁がある様に思いますが如何でしょう?

下の写真26- さて秘仏は何処でしょう。締められた戸のガラス窓から中を撮って見ました。中には立派な社があり、その中に十一面観音様が安置されているのでしょう。2031年の御開帳が楽しみです。

下の写真27- 観音堂の裏には100観音石仏がひっそりと置かれています。本当に100体あるのかな。

下の写真28- 本堂の左に池がありました。まん丸い石仏があるなと近づいた時、「古池や 蛙飛び込む 水の音」まさにこの芭蕉の句と同じように大きなカエルがポッチャンと池に飛び込んだのでした。ビックリしたやら、可笑しいやらでした。あー、芭蕉さんもこのように体験したのだなと納得がいった瞬間でした。

下の写真29- 伝教大師の子供の像との事です。これは石像でなく銅像です。

下の写真30- 帰りの道で振り返って見た山門です。ここも紅葉になれば素晴らしい景色と思います。でも私は若葉の優しい緑色の方が古い山門と溶け合っている様に思います。

下の写真31- 水場の蛇口の龍です。ここにも龍が出て来ました。何の因縁でしょうね。この立派な龍はきっと名のある人が製作したものだと思います。

下の写真32- 十王堂(閻魔堂)の横にある紅蓮の炎をまとった閻魔様でしょうか。彩色を施した迫力のある石像です。

下の写真33- 林の奥には馬の石像がありました。昔の交通手段は馬で、現在は車になっています。よって馬観音の仲仙寺のお守りは交通安全のお守りにもなっています。

下の写真34- さらに奥に行くと山道の際にひときわ大きな葉っぱがありました。高さは60~70cmくらい有ります。ウワ~、これ何の葉っぱだと近づいてみました。

下の写真35- 白い光背を纏った仏様がいらっしゃいました。そうです、水芭蕉です。普通は早春に水芭蕉の花を見ますが、その時の葉はこんなに大きくありません。せいぜい30㎝くらいでしょう。この大きさに驚くだけです。

下の写真36- 更に道を下ると看板が出て来ました。ここは水芭蕉とカタクリの群生地だったのです。カタクリはもう咲き終わっていますので見られませんが、写真の下草が生えている一帯がカタクリの群生する場所です。昔はカタクリも山の中であちこちに見られましたが、群生する場所はかなり少なくなってきています。花は少なくなる、昆虫もいなくなる、〇〇しい世界になってきました。

2026年5月22日 記 カメラ Panasonic  GF10W Lenz 9mm

前の風景の記事 両手に桜の仙丈ケ岳 2026

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


ABOUTこの記事をかいた人

タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。