人攫いの巻2
「お侍様、娘を助けてくれてありがとうございました。お礼の言いようもありません。」
粗末な野良着を着た農夫は、何度も何度も頭を下げてお礼を言った。
「兎に角、助かって良かった。直ぐ家に帰りなさい。また変な奴が出ないとも限りませんからね。」
龍之進がそう言うと、親子は又何度も頭を下げて帰って行った。龍之進は、この三人組が水神組の者だと分かったので問質しもせず、足早に江戸の町へ帰って行った。神田大工町に姿を見せた龍之進は、目明しの鬼の勇五郎の家を訪れた。昼前の勇五郎の家からは、三味線に合わせて歌う女の声が聞こえてきた。戸を開け呼びかけると三味線の音が止み、勇五郎が答えた。
「龍之進様か、そこでは寒いから奥にお上がり下さい。」
龍之進は奥に上がって火鉢の横に座った。勇五郎親分が言った。
「今日も道灌山に行って来なすったか。それであっしに用事は何でしょうな?」
流石に目明しだ。江戸の町を駆け抜ける若侍がいるという噂を聞いて、その若者が龍之進であることを突き止めていた。そして行先まで掴んでいたのだ。龍之進は驚いて答えた。
「流石に勇五郎親分だ。となれば話は早い。その道灌山で人攫いがあったのだ。」
そして先ほどの道灌山での出来事を、掻い摘んで話したのだった。
「やはり水神組でしたか。実を言うとこの半年位、女の子が攫われる事件がよく起こっているんですがね、誰が攫っているのか分からないんですよ。尤も分かっていればお縄になっているんですがね。あっしの感では浅草の水神組が怪しいと睨んでいたんですが、尾尻を出さないんで如何にもならなかったんですよ。」
と、勇五郎は苦々し気に言った。その時女房のお滝がお茶を持って来た。
「龍之進様、お初にお目に掛かります。家内のお滝です。どうぞ宜しく。ところでお前さん、三味線弾きの女衆の噂では、攫われた女の子は大店や風呂屋、旅籠などに売られている様よ。中には吉原に売られて禿(かむろ)になった子もいるとか。」
「龍之進様、お滝の言っている事は間違いないんで。儂もその線を追っているんですが、女衒が二枚も三枚も噛んでいるんで、犯人がはっきりしないんですよ。」
「親分、攫った子供をその日の内に売り飛ばすわけではないと思う。必ず隠す場所があるはずです。そこを見つけれるかどうかですね。」
「分かりやした。その線を追ってみます。」
そんな打合せをして龍之進は屋敷に帰って来た。直ぐ父清之進に今日の道灌山の一件を話した。清之進は黙って聞いていた。聞き終わると上を向いてウームと考え込んでいた。
「水神組の悪い話は時々耳に入っておる。今まではやくざの悪さなので大目に見ていたが、人攫いは許せないな。しかもあどけない女の子では断じて許せん。ここらで水神組を壊滅させねばならない。龍之進、佐吉と弥助も使って必ずその女の子の隠し場所を見つけるのだ。よいな。」
父の言葉に龍之進は久しぶりに胸が高鳴った。龍之進にとっては初めての仕事になるのだ。理想を言えばこんな仕事は無いに越したことはない。しかし世の中は悪があるのが現実だ。人攫いの一味を壊滅させて、女の子達を取り戻すのだと自らを鼓舞していた。
その頃浅草の水神組では、親分の源之丞が主な子分を集めて怒りをぶつけていた。
「大三、てめえ侍を二人も連れていきながら何という様だ。如何してこうなった?」
肩から胸に晒を巻いた大男の大三は、痛みに耐えながら事の経緯を説明した。
「攫うとこまでは上手くいったんですが、道灌山の上に若侍がいて、下りてくるのが速いの何のって。アッという間に儂らの前に立ちはだかったんで。用心棒二人もアッという間に倒されてしまったんで。儂も匕首で突っ込んで行きやしたが、何せ相手は長い木刀なので肩の骨を折られてしまって。」
「エエイ! 煩い! 御託を並べるのは止めい! この邪魔した若造を知っている奴はいないか?」
と叫ぶ親分に、ある子分が返事をした。
「親分、そう言えば一月ほど前に、堀留町の河岸で組の若い衆三人が、若侍に叩きのめされましたね。あの時も木刀でなかったですか。」
「権次、よく思い出した。そう言われれば確かに同じ侍のような気がするな。堀留町に毎日見張りを出せ。必ず探し出すんだ。ただし手は出すな。見つけたら直ぐ知らせろ。」
その一方で龍之進は、そんな会話が行われていたとは露知らず、家族と静かに夕餉を食していた。龍之進の頭の中でフトある考えが浮かんだ。
…後十日余で正月になるな。事件を解決するために氷川に行っている暇はないな。お葉さんと一緒に餅つきは出来そうにないなあ。そうだ、手紙だ、手紙を出そう…
急いで夕餉を終え部屋に戻った龍之進は、名主の清兵衛とお葉宛の二通の手紙を書いた。清兵衛への手紙はお礼やら近況報告でスラスラと書けたが、お葉の方はどう書いてよいのか、剣の様にはスパッと書けないのだった。筆の歩みは遅く、龍之進の部屋だけ灯りが遅くまで灯っていた。
翌日の朝餉の最中に、妹のさちが龍之進に話し掛けた。
「兄上、昨夜は遅くまで起きていた様ですが、何をなさっていたのですか。」
突然の質問に龍之進は慌てた。出来れば家族に知られずそっと手紙を出したかったのだが、龍之進の性格として嘘は吐けなかった。
「あ、何、いや手紙を書いていただけです。」
その慌て様にさちはピンと来るものがあった。
「兄上、お葉さんに書いていたのでしょう?」
「いや、清兵衛さんにも書いたよ。」
龍之進は図らずも白状してしまったのだった。
次回 地龍の剣33 に続く
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