お蘭との再会の巻4
長次とお蘭が町耳目になって五日ほど後、父清之進は日本橋水運の徳次郎を呼ぶように龍之進に命じた。徳次郎の家を探すと日本橋袂近くの万町にあった。龍之進は徳次郎に町耳目の概略を話し、屋敷に来てもらった。清之進の話に徳次郎も町耳目になる事を承諾したのであった。その話の中で徳次郎は一つの提案をしたのである。
「峰山様、今後の事を考えて舟を一艘持ったらどうです? 丁度ここは堀の横でもあるし、江戸の町は水運が張り巡らされています。場所によっては舟の方が早いし、何人も乗れます。また市中を歩かないため隠密の行動もし易くなりますが、如何でしょうか?」
思いもよらぬ提案に清之進はウームと考え込んだが、言われた事は確かにその通りなのだ。
「徳次郎、確かに舟があると良いかもしれぬ。だが、当家に舟はないし漕ぎ手もいない。」
「清之進様、実は私の所に猪木舟が一艘余っているので、それをお貸しします。それと漕ぎ手は、佐吉さんと弥助さんが習えば出来ますよ。」
清之進には舟を持たない理由が無くなっていた。
「それでは舟を借りるとするか。佐吉、弥助、よいな、徳次郎の所で漕ぎ方を教わるのだ。」
「佐吉さん、弥助さん、明日から午前中に来て下さい。一刻ほど漕ぐ練習をします。二~三日あれば大丈夫ですよ。ただ最初は手に肉刺が出来るかもしれませんがね。」
「徳次郎さん、よろしくお願いします。舟が漕げたらいいなと前から思っていたので、丁度良い機会です。」
佐吉が返事をし、こうして峰山家は図らずも舟を持つことになったのだった。
人攫いの巻1
いよいよ寒い季節がやってきた。しかし龍之進の生活に変化はなかった。朝稽古をし、朝餉の後は道灌山まで駆け足で行ったのだ。そして山の中で駆けまわりながら木刀を振っていた。最後には印地打ち(投石)の稽古も欠かさなかった。そしてその印地打ちにある工夫をしていたのだった。昼過ぎ帰ってくると道場で幻の相手と対峙し、あらゆる動きの研究をしていたのである。
師走に入ったある日、道灌山で稽古をしている時の事だった。
「助けてー!」
女の子の声が山の下から聞こえてきたのだ。すると一呼吸置いて、
「娘が攫われた―! 誰か助けてくれー!」
その声がした斜面を見下ろすと、山裾の道を三人組の男が駆けていた。そのうちの一人が小さな娘を抱えていた。龍之進は素早く山を駆け下りていく。奥多摩の氷川で大天狗と言われた龍之進だ。あっという間に三人組の前に躍り出た。急な龍之進の出現に、前を塞がれた三人はたたらを踏んで立ち止まった。その後ろから父親と思われる男が必死に駆けてくる。三人組の内二人は浪人で素早く剣を抜いた。
「そこを退け! 邪魔立てすると切る!」
しかし田舎の狭い道だ。二人同時には掛かって来られない。若い浪人がスッと前に出ながら大上段に振りかぶった刀を打ち下ろしてきた。龍之進は瞬時に左に躱しながら、打ち下ろしてくる右腕を木刀で下から打ち上げた。ゴキッという感触の後、浪人は刀を取り落とし呻き声をあげて崩れ落ちた。その横を龍之進はすり抜けて次の男と対峙した。その男は壮年の浪人で、剣の腕前は先の若い浪人より一段上なのが見て取れた。男は右八双に構えながら言った。
「お主、若いのに出来るな。流派は何だ?」
龍之進は左足を前に出し、左片手で木刀を下に構えて答えた。
「流派はありません。強いて言えば氷川流かな。そんな事より子供を放してやってくれませんか。」
「それは出来ん。水神組に頼まれたでな。おっと、余計な事をしゃべってしまった。生かして置くわけにはいかんな。それでは参る。」
言い終わるや否や男は踏み込みながら、右八双からの袈裟切りの太刀を振ってきた。龍之進は左足に体重を移し、スッと沈み込みながら体を右に回転させた。目の前を太刀が鋭い勢いで過ぎていく。その瞬間男の上部はがら空きだ。その喉元へ木刀の先が吸い込まれていった。グエッと声にならない叫びをあげて、男は後ろ横にひっくり返った。
最後に残ったのは子供を拉致しているやくざ風の大男だ。その少し後ろには、子供の父親が固唾をのんで事の成り行きを見つめていた。匕首を子供に突き付けながら大男は叫んだ。
「木刀を捨てろ。さもないと子供の命はないぞ。早く捨てろ!」
「待て! 今捨てる。」
龍之進は屈みこんで道に木刀を置いた。その時、道にあった小石を素早く拾っていた。実を言うと小石のある横に木刀を置いたのである。大男は木刀が置かれた事で少々油断していた。龍之進が何気なく石を拾う動作に、気が付かなかったのだ。龍之進は少し立ち上がったところで、大男の顔めがけて素早く小石を横投げした。大男がアッと思った時には額に激しい打撃を受け、子供を掴んでいた手を放してしまった。子供は素早く後ろに逃げ、父親の所に駆け寄って行った。父親は子供を抱きかかえると更に後ろに下がった。大男は石礫の思わぬ攻撃に出鼻を挫かれたが、気を取り直し匕首を構えた。
「この若造が、調子に乗りやがって!」
と叫ぶと龍之進に飛び掛かって行った。龍之進はすでに木刀を拾い大上段に構えていた。そんなところに飛び込む奴は間抜けと言えば間抜けだった。石礫を受けた屈辱で頭に血が上っていたのである。怒りに任せて突進したが、真上から振り下ろされた木刀で肩の骨を折られてしまった。息も出来ない激痛が大男を地面に押し潰していた。水神組の人攫いの三人は呻き声をあげてのたうちまわっていた。もう襲ってこないと確信した龍之進は親子に近づいた。
次回 地龍の剣32 に続く
前回 地龍の剣30
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