地龍の剣3

  青梅街道の巻1

旅立ちの朝が来た。龍之進は朝餉を終えて、箒目が付くほど掃き清められた玄関に出てきた。そこには全員が集まっていた。佐吉は荷物を背負った旅支度をしていた。龍之進は母が誂えた新しい着物を着て、父から授かった大小を腰に差していた。母は子の旅立ち姿をしっかりと目に焼き付けていた。父は木刀と竹刀を差し出し、

「この木刀は少し重くしてある。真剣の重さに近づけて、違和感のないようにしてあるからな。」

とだけ言った。何故か落ち着かない母は、

「龍之進、体には気を付けるんだよ。」

と言うのが精いっぱいであった。妹さちは

「兄上、たまには手紙を下さいね。」

と、母親の気持ちを察して言ったのであった。

「それでは修行に行って参ります。」

と言ってお辞儀をすると、後は振り返りもせず歩き始めた。佐吉は皆に何度かお辞儀をしながら、慌てて龍之進を追いかけていった。表向きは喜ばなければいけない事なのに、皆の本音は寂しいのである。ただ父だけは「よくここまで来た。後は息子次第だ。」と満足な気持ちが強かった。

堀江町堀の奥にある薪町の屋敷から、しばらく歩くと日本橋に出た。日本橋を北から南へゆっくりと渡ってゆく。程よい日差しで橋の上から右側には、遠くに白い雪を被った富士山が、やや霞んで見える。江戸城は日本橋川の奥に聳えていた。龍之進は

「しばらく江戸ともお別れだな。」

と呟いてしばし橋の上で立ち止まった。その時橋の上の様子を、さりげなく眺めている小奇麗な若い娘が、日本橋川沿いの柳の木陰にいた。その名をお蘭という十八歳の娘であった。龍之進が郷愁の思いに耽りながら、日本橋を渡り終えた時だった。お蘭は川沿いの道を、ツツーと小走りに橋まで来た。その時石に躓いたのか、「アッ!」と小声をあげながら橋を渡り終わった龍之進に倒れ掛かった。龍之進は倒れ掛かった娘の体を素早く抱きとめた。

お蘭の動きが止まった。お蘭は焦っていた。お蘭の左手首が龍之進にしっかりと摑まれていた。龍之進の懐から、財布を半分引き出したところで、動きを止められていたのだった。龍之進は父との稽古で、相手の素早い動きを身切って、それに反射的に対処する動きを身に付けていたのだ。だからお蘭の手が自分の懐へ入って行く動きが、スローモーションの様に見えていた。お蘭は今まで経験した事のない事態に、唖然としていた。その時、龍之進が小声で、

「お嬢さん、こういう事は良くない事ですよ。」

と言って、財布をそっと懐に戻し、掴んだ手を放してあげた。お蘭は身の置き所がなく、

「御免なさい。済みませんでした。」

と言いながら頭を下げて謝った。龍之進は軽く頷くと、何事もなかったかのように歩き始めた。周りの人に、この真相に気付く人はいなかった。どこかの娘さんが石に躓いて倒れ掛かったのを、若侍が偶然抱きとめたという認識であった。お蘭は龍之進の温情溢れる配慮に感謝していた。一方で、自分の得意なスリを見破られただけでなく、その動きを封じられたことに恐ろしさを感じていた。スリ仲間では名人と言われたお蘭であったが、まさか失敗するとは思ってもいなかったのだ。

初心な感じの若侍で、お金を持っていそうだったので狙ったのだが、世の中には侮れない人もいるものだと悟ったのだった。でも何故か爽やかな気持ちになり、その後もこの事が何度も思い出されるのであった。実は龍之進も切磋にスリを捕まえたのだが、若い娘さんを間近に見た事と、仄かな香りに一瞬どぎまぎしてしまったのだ。そのため、大騒ぎをしない様な対応を、瞬時に決断したのであった。甘い対応と言えばそれまでだが、その対応により彼女は反発せず反省を促したことは上出来であった。

そんな出来事があった事を素振りにも見せず、龍之進と佐吉は日本橋通りを南に歩いて行く。一町半程で右に曲がり、賑わう呉服町を通って呉服橋に出た。その橋を渡ると大名屋敷の間を進み、和田倉門に出た。そこで左に折れ、お濠に沿ってずっと歩いて行く。徳川幕府が出来て三十年ほど経つが、お濠の石垣工事がまだ所々行われていた。

半蔵門まで来て左折し、麹町の通りを西進する。九町ほどで外堀の四谷門に到着した。そこから一里弱で甲州街道と青梅街道の追分に至る。そのすぐ手前は新宿であるが、この時はまだ宿はない。新宿が出来たのは、この時から約七十年後の千七百年ごろである。

次回 地龍の剣4 に続く

前回 地龍の剣2

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。