地龍の剣14

   修行の巻3

楽しい魚取りも終わり、音吉とお葉は七匹のイワナを持って屋敷に帰って行った。龍之進は一人で小屋に帰ると、持ってきた三匹のイワナを囲炉裏の遠火で焼き始めた。が、龍之進の目には炎は映らず、清流の水の照り返しに輝くお葉の顔が浮かんでしまうのだった。それを振り払うように龍之進は外で真剣の素振りに没頭していった。

お葉はその後月に五~六回ほど来ては、龍之進の食事作りや洗濯などを手伝っていた。お葉はこれが無上の楽しみになっていったのだった。この頃は屋敷にいる事が退屈だったのだ。心はいつも山の上の樵小屋にあった。と言うより龍之進に心を惹かれていったのだ。でもお葉本人はその事にはっきり気付いていないのだった。

十日ばかり経った頃、龍之進は鋸山に出掛けた。今度は木刀を紐で背負って岩場に挑んだ。傾斜が緩やかな岩場では、岩から岩へ跳び移りながら木刀を振った。跳び移る岩の瞬時の的確な選定と、足腰の強さが試される修行だった。また跳んでいる時に木刀を振ると体勢が崩れやすく、最初の内は何度も失敗をしていたのだった。三~四日に一度はこの山へ来て修行をするようになっていった。数カ月もすると足腰は強靭になり、瞬発力と機敏さが格段に向上していったのであった。

梅雨が来た。連日雨でろくに稽古が出来ないので、小屋の中で木刀や真剣を振っていた。ある日稽古途中の一休みの時、何気なく開け放った戸から、小屋の中に落ちていた石を外の木に投げた。僅かに木から逸れたが、アッと思いついた事があった。…そうだ、印地打ち(石投げ)も稽古しよう。場合によっては刀がない時があるかもしれない。また遠くの敵を倒すには持って来いかもしれないな… そう思うと小屋の中や周りにある石を拾い集めた。

そして小屋の中にあった一尺幅の板を、小屋から五間ほど離れた木に立てかけた。石を数個投げてみたが板に当たらなかった。本気になって投げ始めた。石が無くなると外に行って投げた石を拾ってきた。半刻程投げていると少しは当たる様になってきたが、腕が痛くなってきた。そこで反対の左手で投げてみた。が、余計に板に当たらなくて、大きく外れたのだ。龍之進は少し意地になって石を投げ続けていた。こんな具合に梅雨の一日は過ぎて行ったのであった。

夏が来た。山の上でもさすがに暑くなった。稽古の汗で夕方には稽古着がびっしょりになっていた。だから夕方は替え着を持って尾根下の安寺沢まで下り、稽古着を洗ったのである。その時イワナを数匹取り、夕餉に彩りを添えることもあった。また時々お葉と音吉が訪れる時に、冷えたスイカを持って来てくれたのだ。そんな時は皆でおしゃべりをしながらスイカを食べるのが、龍之進の無上の楽しみとなったのだった。

この山に来て三カ月程修行をしたおかげで、尾根や岩場を駆け上がる速さはだいぶ早くなり、足腰が鍛えられてきた事を龍之進は感じていた。そのため剣を構えて素早く移動する動きは、見違えるほど早くなっていた。また木刀を振る時に出る音は鋭く短くなっていた。印地打ちも上達し、五間の距離なら全て一尺の的に当てる事が出来るようになっていた。そのため今は十間の距離に伸ばして挑戦していたのだった。

   運命の出会いの巻1

夏も終わり近くになり、蝉時雨も一頃の勢いはなくなってきた。そんなある日の昼過ぎに音吉が小屋に走って来た。何事かと問うと、名主の清兵衛の屋敷に有名な剣術家が来て、龍之進に会いたいとの事だった。直ぐ屋敷に来て欲しいとの清兵衛の言付けを、音吉は龍之進に伝えた。龍之進は木刀と竹刀を持って、音吉と共に山を駆け下りた。

清兵衛の屋敷の戸を開け中に入ると、白髪の老剣客が囲炉裏端で清兵衛と話をしていた。清兵衛が振り向いて

「龍之進様、もうお出でなさったか。ここに来てお座りください。御紹介する方が此処に居られます。」

と興奮を鎮めて言った。龍之進は静かにわらじを脱ぎ、音もなく清兵衛の横に座り、老剣客に頭を下げた。白髪の剣客は龍之進の挙動を静かに見ていた。

「龍之進様、ここに居られるお方は剣術家の伊東一刀斎様です。」

と清兵衛が言うのを聞いて龍之進は驚いた。一刀斎の弟子小野忠明は二年ほど前亡くなったが、将軍徳川秀忠の剣の指南役を務めていたのだ。その一事で一刀斎の剣の腕前が半端でない事が分かるのである。噂には聞いていたがもちろん会うのは初めてである。見た目は静かであるが、龍之進は凄い威圧感を感じていた。

「峰山龍之進と申します。以後お見知りおきの程よろしくお願い致します。」

と言いながら龍之進はゆっくりと頭を下げた。

「龍之進殿、お初にお目にかかる。伊東一刀斎でござる。急にお呼び立てして申し訳ない。実は用があって青梅に来たのじゃが、そこでお主の噂を聞いて会ってみようとここまで足を伸ばした次第じゃ。」

「一刀斎様、私の噂とはどんな噂なのでしょうか。」

龍之進は訝し気に訊いた。

「なに、ある若者が氷川で強盗三人を素手で倒し娘さんを救ったとか、山の中を天狗の様に駆け回る氷川の小天狗だなどという噂じゃよ。それで今時そんな若者がいるのかと、儂も興味を持って此処に来たのじゃ。」

そこで清兵衛が首をかしげて

「そんな噂が広まっているとは思いませんでした。ですが確かに噂になるでしょうな。」

と言って龍之進を見た。龍之進は多分山に来た樵衆に修行を見られたのだなと思った。が、それは仕方ない事でこちらが山を貸してもらっているのだからと思ったのだった。

次回 地龍の剣15 に続く

前回 地龍の剣13

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。