地龍の剣27

   峰山家の秘密の巻5

その日の夕餉の後、龍之進は父に仏間に来るように言われた。油芯に灯る火が揺らめいて、漆黒の仏壇を浮かび上がらせていた。父清之進はその前に正座していた。龍之進が座ると、父は向き直り厳かに告げた。

「龍之進、これから峰山家の代々の秘密を明かす。」

と言って仏壇に向き直り、仏壇の奥の柱の一つをゆっくりと回した。すると位牌を置いてある台座の一部が開いたのである。父はその中から何かを包んだ袱紗を取り出した。袱紗を開くと、縦三寸五分、横二寸五分の漆黒の木札が出てきた。上には徳川の葵の紋、右下に家光様、左下に御用の金文字が書かれていた。清之進は説明を始めた。

「これは三代将軍家光様より与えられた御用札である。何か徳川幕府存亡の緊急事態が起きたか察知した時、この御用札で御取次を通さず直に家光様の所に駆け付ける事が出来るのだ。また町奉行所にも緊急の手配が、将軍様の名代として出来るのである。この御用札はほんの僅かな者にしか与えられていない。峰山家はその栄誉と責任を持っている数少ない家柄なのである。それも祖父が家康様の危急をお救いした実績があればこそ与えられたものである。」

とここまで一気に御用札の説明をし、お茶を一口飲んで口を湿し、更に続けた。

「今までこの御用札を使用したことは二度で、爺様が家康様の時に使用したが、儂はまだ使った事がない。もちろん使わぬに越したことはない。将軍様がお亡くなりになり次の将軍様になった時、前の将軍様の御用札を返し、新しい将軍様の御用札を頂くことになる。もし新しい将軍様が御用札の必要のない時代になったと判断されれば、御用札は渡されず、我が家の役目は終わったことになる。なおこの秘密は儂しか知らぬ。この家の誰もが知らぬ事だ。良いか、分かったな。」

「良く分かりました、父上。確かにこの御用札を使う事態にはなりたくありません。小さな芽のうちに、人知れず解決するよう努力したいと思います。」

「龍之進、その通りだ。明日からは仕事に励むのだ。そして今持っている剣に更に磨きをかけるのだ。いつ何時恐ろしい相手が出てくるかもしれん。まだ新しい江戸の周りには自然が残っている。情報集めを兼ねてそういう所に行って修行を続けることだ。」

「はい、分かりました、父上。」

父清之進は深く頷くと、御用札を仏壇の隠し戸の中にそっと収めた。龍之進は身の引きしまる思いで、その仏壇の一角を見つめていた。

翌朝、龍之進は庭で久しぶりに木刀を振っていた。基本から丁寧に木刀を振り、次第に体を移動させながら鋭い振りの連続技に移って行った。それがしばらく続き、急に龍之進はピタッと動かなくなった。龍之進の頭の中には、一刀斎先生の突きの構えの姿が浮かんでいた。斜め下に木刀を構えた龍之進は突きが来るのをじっと待った。来ると感じた瞬間に体は回転し、右片手の木刀を下から突き上げていた。その瞬間一刀斎の姿は消えていた。

「恐ろしい剣だ。まず、たいていの者は躱せまい。」

庭に面した廊下の端に父が立っていた。父が見ている事は分かっていた。以前なら稽古に夢中で、周りは見えていなかった。今は自分の周りの事も、はっきり意識できるようになっていた。急に妹のさちが呼びに来た。

「兄上、朝餉の支度が出来ました。味噌汁は私が作ったので美味しいですよ。」

そう言われた時、本仁田山の山小屋で味噌汁を作ってくれているお葉の姿が、急に龍之進の心に浮かんだのだった。でも今は思い出に浸る間は無いのだ。お葉への想いを振り切って、汗ばんだ体を急いで拭いて食事に向かう龍之進だった。

朝餉の後、弥助を連れて江戸の北に向かった。江戸に剣術の修行が出来る山は有るのか探すためであった。最初は上野山だが東叡山寛永寺があり、また家康を祭る東照社(後の上野東照宮)が出来たばかりであった。此処では恐れ多くて剣術の修行は無理だと龍之進は思った。次に道灌山に向かった。氷川の山に比較するのは到底無理ではあるが、急な斜面もあるし上には平らな林もあるので、修行できるかなという感じであった。またここら辺りまでくると人影もかなり少なく、修行の妨げにはならないなと思った龍之進であった。

弥助に他に山はないかと問うと、もう少し行くと飛鳥山があるという事だった。そこまで足を伸ばしてみたが、山の高さは道灌山と同じくらいだが、山の上には飛鳥明神社があった。どちらかと言えば、道灌山の方が人目を気にせず修行が出来そうだった。龍之進は道灌山を修行の場にしようと心の中で決めたのであった。弥助はこの日のお供でかなり疲れたのだが、龍之進は散歩に行ったくらいの感覚であった。道灌山に行く道筋は分かったから、次からは龍之進一人で行く心算だ。それを聞いた弥助はお供したかったが、足手まといになるのが分かっていたので諦めたのだった。

龍之進は次の日から朝餉を終えると、木刀を持って道灌山まで駆け足で行った。氷川の山に比べたらここはほとんど平地なので疲れもしなかった。到着すると山の急斜面を駆け足で登り、上で一刻程飛び跳ねながら木刀を振り続けた。それが終わってから帰路に就くが、神田川までは駆け足で行った。神田川を渡ると江戸の町並みに入る。そこで毎回違う路地を歩いて、江戸の地理を頭の中に入れていったのだった。

次回 地龍の剣28 に続く

前回 地龍の剣26

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。