ヒマラヤ ゴーキョトレッキング12-1

ヒマラヤ ゴーキョトレッキング11-4 の続きです。

昨夜は何かお祭りがあったらしく、村の中が歌声で騒がしかったです。このロッジの食堂にも夜遅く、この村の女性たちが集まって歌って踊っていたようです。私はいつも8時半ごろには寝てしまうので、夢うつつにその歌を聴いていました。

下の写真…11月4日、今日はクムジュン村の散策です。5時過ぎに起きて支度をして、ロッジの前にある丘に登りました。エベレストやローツェに日が当たり始めました。その日が少し広がるのを待って撮った写真です。山が赤くなるモルゲンロート(朝焼け)は見られません。赤くなる条件が何かあるのでしょうか。少し残念でした。

下の写真…しばらくして低い山にも日が当たり始めました。低い山、と言っても6000m級のコンデ山系ですが、こちらも赤くなりません。

下の写真…こちらはクムジュン村の守護神クンビーラ山5765mですが、他より低いためまだ日が当たりません。

下の写真…コンデ山のだいぶ下まで日が当たってきました。日陰との境界がくっきりと出て、山の立体感が良く出ています。ヒマラヤの山は石を割ったような鋭い割れ口がある山が多いような気がします。天の神様がいたずらで割ったようです。日本ではこういう感じの山はほとんどないように思います。

下の写真…ローツェ8516mにもだいぶ日が下まで伸びてきています。ここに見えているのはローツェ南壁です。この南壁は非常に難しいコースで、2001年になってやっとロシア隊が登頂に成功しました。そして日本山岳会の東海支部のパーティーが2006年にこの南壁の登攀に成功し、更に頂上にアタックしたのですが、悪天候の為あと41mという所で登頂を断念する事態になってしまいました。素人目ではこんな所登れるわけがないと思うのですが、世の中には超人(鳥人?)もいるのですね。

下の写真…エベレスト8848mです。画面左半分の黒い尾根はタウツェ6495mの裾野の方です。真ん中の長く伸びている尾根はヌプツェ7864mの尾根です。エベレストの頂上との標高差は約1000mもあります。ところで山の名前の最後に「ツェ」がありますが、これはチベット語で「峰」のことを意味します。それではヌプツェの「ヌプ」は何かと言うと「西」のことです。つまり「ヌプツェ」は訳すと「西峰」で、エベレストの西にある峰ということです。ローツェの「ロー」は「南」でエベレストの南の峰という事になります。これを知っているとエベレストとの位置関係が大まかですがすぐ頭に浮かびます。

下の写真…この山は麓にポルチェ村があるタウツェ6495mです。頂上付近は日が当たってきましたが、村のある谷間の方はまだ暗いです。

下の写真…コンデ山にもだいぶ日が当たってきました。

下の写真…画面左の塔はエベレストに初登頂したヒラリーの記念碑です。そしてそのすぐ後方にエベレストを配置して写真を撮ってみました。真ん中の山はローツェです。

下の写真…さてと、辺りを見回すと一つだけ日の当たらない山が、静かにしかし存在感たっぷりに聳えています。タムセルク6618mです。この山はここら辺からは東に位置するので、太陽は山の後ろにあり、お昼近くにならなければこの面を照らしてくれません。白黒の墨絵のようで、眼前に迫力満点で迫ってきます。

2018年2月10日 記  カメラ RX10Ⅲ

前の記事 ゴーキョトレッキング11-4

次の記事 ゴーキョトレッキング12-2

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


ABOUTこの記事をかいた人

タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。