地龍の剣22

   お別れの巻3

「ところでお葉、コウタケの炊き込みご飯は美味しく出来たかな。」

と、清兵衛はお葉に話を振った。

「あら、お父様は知っていたのですか。」

と、お葉は少し慌てたが、龍之進が

「清兵衛さん、とても美味しく頂きました。皆で全部食べてしまいましたよ。」

と言うと、清兵衛は嬉しそうに頷いた。そして音吉に問うた。

「音吉、龍之進様と山歩きの競争は如何だった? まさか負けたんじゃあるまいな?」

「清兵衛様、そのまさかなんですよ。一町ほど離されてしまいました。」

「やはりな。儂が言った通りだっただろう、音吉。」

「はい、峰山金太郎様にはさすがの音吉も敵いません。」

「何? 峰山金太郎?」

と清兵衛が訝しがるのを、お葉が山小屋での話を説明したのだ。そこで一同また大笑いとなったのであった。夜は更けてゆく。しかし囲炉裏の火はいつまでも明るく、皆の談笑は絶え間なかったのであった。

氷川での最後の朝が来た。目が覚めると谷側の流れる音が耳に響いてきた。この音を聞くのも今日が最後になるのかと思うと、やはり寂しさが込み上げてきたのだった。顔を冷たい水で洗い、囲炉裏端に行くとお菜実とお葉は朝餉の用意をしていた。清兵衛はぽつねんと囲炉裏端の定位置に座っていた。今朝は皆寡黙であった。朝餉をゆっくり食べて、お茶を飲み始めた。しばらくして清兵衛が沈黙を破った。

「龍之進様、いよいよお別れですな。」

「清兵衛さん、お菜実さん、お葉さん、長い間本当にお世話になりました。」

「龍之進様、お礼を言うのはこちらの方です。お葉を助けて頂いて本当にありがとうございました。」

とお菜実が言って頭を下げた。お葉はずっと目を伏せたまま身じろぎもしなかった。龍之進が務めて明るく言った。

「清兵衛さん、以前十両預かってもらっていますが、もう十両置いていきますので使ってください。」

と紙に包んだ十両を清兵衛に差し出した。

「龍之進様、前にも言ったが、お葉の命の恩人から金をもらう訳にはいきません。」

「清兵衛さん、十両は生まれた良太郎君のお祝いです。もう十両はお葉さんがいろいろ手伝ってくれた事への御礼です。そういう事で是非収めてください。」

清兵衛も余り頑固に断るのも角が立つと思い、龍之進の心遣いを率直に受ける事にした。

「分かりました。そういう事ならこの二十両有難く頂戴いたします。」

と、清兵衛が頭を下げた。龍之進が

「それでは、これでお暇致します。」

と言って立上がった。皆も慌てて立上り、龍之進に続いて門まで出た。

「それでは皆さま、お達者で。」

と挨拶すると、お葉が思わず前に出て、

「龍之進様、お元気で。また必ず会いに来て下さいますね。」

と言って、涙に滲む目で龍之進を見つめたのであった。

「お葉さん、必ず会いに来ます。待っていて下さい。」

お葉はコクッと頷いて龍之進の手を握った。龍之進もお葉の手を握り、しばらく見つめ合っていたが、

「お葉さん、それではまた会う時まで。」

と言って優しく手を放し、皆にお辞儀をした。龍之進はクルリと背を向けると、青梅街道を江戸に向かって静かに歩き出したのであった。

   帰郷の巻1

紅葉の始まった多摩川沿いの青梅街道を、恐ろしい速さで下って行く若者の姿があった。だが足音は小さく、土埃もほとんど立てずに歩いていた。後から追い抜かれた旅人は、抜かれて初めて若者に気付くのだ。そしてあっという間に前方へ姿が小さくなっていくのを、唖然として見ているだけだった。二日目の午後には江戸に入っていた。甲州街道との追分に着いた若者は、見覚えのある茶店に入った。去年の春、青梅に行くときに寄った茶店である。

お婆さんが茶を持って出てきたが、逞しい姿に変わった龍之進に気付くはずもなかった。団子を二皿注文した。やがて出てきた団子をゆっくりと頂いた。甘くて美味しい懐かしい味だった。お茶のお代わりをして龍之進は、

「お婆さん、お団子、美味しかったです。」

と言ってお代を置いて立上り、お婆さんに訊いた。

「去年は駕籠屋の追剥が出ると聞いていたのですが、今は如何ですか。」

お婆さんは嬉しそうに答えた。

「去年の春過ぎから、追剥がパタッと出なくなったらしいよ。何でも若いお侍さんが追剥を懲らしめたという噂だ。皆さん安心して街道を歩いているよ。」

「そうですか。それは本当に良かったですね。」

と答えて龍之進は店を出た。追剥の頭の新垣才十郎は、龍之進との約束を守っていた。でも今はどうやって暮らしているのだろう、という心配が頭の隅をかすめていた。

江戸の中心に近づくにつれて、道には多くの人が歩いていた。賑やかな呉服町を抜け、日本橋手前に出た。橋の上はかなりの人通りで、江戸は変わっていないなと龍之進は思った。橋の袂に来た時、そういえばあの女スリは如何しているのだろう、と思い出したのであった。あの後真っ当な仕事をしていれば良いがと思ったが、確かめようがなかった。

雑踏の日本橋を渡ると屋敷は直ぐ近くだ。しばらく進み右に折れて行くと堀留町に出た。屋敷のある薪町はもうそこだ。堀沿いの道に面した屋敷が見えてきた。懐かしい門を潜ると大声で叫んだ。

「龍之進、ただ今戻りました。」

静かだった屋敷が急に騒がしくなった。バタバタと真っ先に源助爺が玄関に走って来た。その後から佐吉、そしてお種婆さんがあたふたと出てきた。そして母ゆりと妹のさちが、裾を抑えながら速足で出てきた。さちはだいぶ大きくそして女らしくなったな、と龍之進は感じたのであった。母の目は少し潤んでいるようだった。最後に父清之進がゆっくりと現れたのであった。

次回 地龍の剣23 に続く

前回 地龍の剣21

 

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。