地龍の剣17

   秘剣胎動の巻2

龍之進は引きつけておいてスッと躱した。熊は相手が消えた事に驚いたが、熊も敏捷な動作で体を捩じりながら龍之進に向き直った。そして直ぐ様グオーッと前足を上げて立ち上がった。龍之進はスルッとその下を掻い潜り、熊の横に出ると同時に熊の頭を木刀で一撃した。熊にとってみれば、また消えたと思ったら、後ろから頭にガツンと痛い打撃がきたのだ。そんな反撃にあった事のない熊は驚いたのだろう。一目散に逃げ出し、横の斜面に姿を消したのであった。

その後何度かその熊に遭遇し、同じようなやり取りをした。それで熊もこの人間には襲っても反撃を受けるだけだと悟ったようだ。その後遭遇してもちょっと立ち止まりグフーと軽く唸るだけで、何事もなかったかのように藪の中に姿を消すようになったのだった。龍之進は熊が襲ってこなければ、もちろん何もせずやり過ごすだけであった。龍之進としては、山の中にいるものは皆友達、という気持ちだったのだ。

ところがこういう場面を見ていた樵達がいたのだ。樵達は大変驚いて、村に帰って皆に話をした。

「あのお方は熊をも従える氷川の金太郎だ。」

という噂になり、龍之進は「氷川の大天狗」から「氷川の金太郎」とも呼ばれるようになってしまったのだった。

冬が来た。朝は桶に薄氷も張るようになった。囲炉裏は太い薪を燃やして一日中火を絶やさなかった。薪は秋に音吉と薪割をして充分に蓄えてあった。空が曇って来ると雨でなく雪が降る日も増えてきたのだ。多い時は一尺近く雪が積もる日もあった。外で稽古して足袋が雪で濡れると小屋に入り、足袋を囲炉裏で乾かした。その間は小屋の中で打込みや踏み込みの形を工夫したりしていた。

足袋が乾けばまた外に出ての稽古だった。しかし雪の上では、足の動きに体の重心がついていかないと、滑ってひっくり返ってしまうのであった。雪のない時には気付かない悪い動きが矯正され、踏み込みの動きが滑らか且つ素早くなっていった。

そしてある時思わぬ事に気付いた。打込みの稽古をしていて、腰を素早く落としながら体を捻ったら、足元から体全体が方向を変えたのである。アレッと思って何回か試してみるとそうなる時があった。これをいつでも出来るようになれば相手の太刀を避ける事も易しくなり、こちらからは相手の想像しない太刀を繰り出すことが出来る、と龍之進は考えた。その後はいつまでもその稽古に没頭する龍之進の姿があった。

少しづつ陽が濃くなり、大晦日前日の三十日の朝早く、龍之進は名主の清兵衛の屋敷に下って行った。屋敷では土間に臼が置かれ、隣接した台所では蒸籠から湯気が吹き上がり、もち米が蒸されていた。お葉に

「龍之進様、お餅をついてくださいね。私が手返しをします。」

と言われたが、江戸でも餅つきをしていたので手順は分かっていた。木臼にお湯を張り、入れるもち米が冷めないように温める。そして蒸し上がる直前にお湯を捨てる。蒸し上がったもち米を臼に入れ、杵で捏ね回してもち米を軽く潰す。その後餅の手返しを入れながら杵でつく。手返しは毎年お菜実なのだが、お腹が大きくなったという事で、今年はお葉が務める事になったのだった。龍之進は餅をつきながら剣の使い方を考えていた。

…杵を振り上げた時は胴から下ががら空きである。狙うのはそこが良いのだが、どういう剣がいいのだろう。横から薙ぐか、下から切り上げるか?…

と考えていたら、お葉が手返しをしながら言った。

「餅がつけてきましたので、後二十回ほどついてください。」

龍之進は我に返り、杵に気合を入れて餅をついたのだった。だが、次のもち米が蒸し上がる間、また考えに耽っていた。五臼ほどで餅つきは終わり、鏡餅も出来た。お葉が山小屋用に小さな鏡餅を作ってくれていた。その日はその鏡餅を大切そうに持って帰っていったのだ。

次の大晦日の日は、気合を入れて年納めの稽古を終えたのであった。そして夕方の薄暗くなった山を下りていった。年の瀬は屋敷に来るように清兵衛に言われていたのだ。その晩は皆が囲炉裏端で夕餉を取った。お菜実は大きなお腹を抱えながら、皆のお代わりに応じていた。春過ぎに生まれてくるとの事で、幸せそうな顔をしていた。お葉は自分がお姉さんになれることが嬉しそうだった。清兵衛は、二番目の子供は男の子だと良いのだがと呟いていた。おしゃべりが続いていたが、除夜の鐘を期に眠りについた。

龍之進は囲炉裏端で寝る事にした。布団を敷いてもらい横になったが寝付けない。囲炉裏で燃える赤い炎が、龍之進の秘剣追及の炎と重なっていた。しかしそれも長続きはせず、知らぬ間に夢の世界に入っていった。

龍之進は地面から噴き出る炎と対峙していた。メラメラと炎の先端が伸びてくる。上段に構えた剣をズンと落とすと、炎は二つにスッと別れ、また元に戻る。横に薙ぐと、炎はくの字に折れ曲がり、また元に戻って燃え盛る。八双に構えて打ち込もうとした時、地中から龍の顔が覗き、口から炎を吐いた。炎は勢いよく地を走り、龍之進に向かって行く。避ける間もなく炎は龍之進を包んだ。ワアッと叫んだ自分の声で、龍之進は目が覚めた。囲炉裏の火はまだ燃えていて、龍之進の顔を赤く照らしていた。

次回 地龍の剣18 に続く

前回 地龍の剣16

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。