地龍の剣2

幼少の巻2

屋敷のいくつかある棟のうち、外から見えない場所に小さな道場があった。広さは三十畳ほどで庭に面していた。午後になると父と竜太郎は、この道場で本格的な稽古を始めた。父が打ち込み、竜太郎はそれを躱しながら短い竹刀で打ち込む、という稽古だった。雨戸は開けてあるが道場は薄暗い。しかし竜太郎の目は、しっかりと父の姿を捕らえていた。

竜太郎は左足を半歩前に出し、少し腰を落として構えるが、短い竹刀は右手にぶら下げただけである。父は正眼に構えてしばし動きを止めた。数呼吸の間があり、父はスッと前に出た。それと同時に正眼の竹刀に反動をつけて、真っ直ぐ竜太郎に振り下ろしてきた。竜太郎は父の足が出ると同時に、屈みこみながら素早いすり足で父の右側面に入った。竹刀が父の腰に届こうとする寸前、竜太郎の右肩に鋭い打撃が入った。父の足元に崩れながら竜太郎は、次は必ず竹刀を届かせると自分を励ましていたのだった。父は静かに言った。

「かなり良くなったが、まだすり足が遅い。竹刀が短いため足の運びを速くしないと、相手より先に竹刀が届かない事は分かっているな。」

その後一刻程、あらゆる方向からの太刀の打ち込みに対する稽古が続いた。しかし竜太郎は、一本も父から取ることは出来なかった。それも無理ない事であった。父は息子の動きを見極めながら、それよりわずかに速く竹刀を振っていたのだった。

七年の歳月が過ぎた寛永六年(1629年)、竜太郎は十五歳になった。桜が散り始めた頃、父と子は屋敷の道場で竹刀を構えて向き合っていた。一間半ほど離れて対峙し、しばし静寂が訪れた。父が仕掛けようとしたその時、竜太郎はスッと後ろに下がった。そして父に向かって素早く距離を縮めていった。一間を切り間合いに入ったその時、父の鋭い袈裟切りが落とされようとした。その時にはすでに竜太郎は素早い速さで体を斜めにし、短い竹刀が父の腹部に伸びていた。袈裟切りがむなしく空を切ると同時に、竜太郎の竹刀が父の腹部を鋭く突く手応えを感じていた。

「でかした! よくやった!」

父の声が道場に響き渡った。

その夜、急遽竜太郎の元服の式が行われた。式といっても家族四人と、使用人三人のささやかな式だった。父、峰山清之進は息子の竜太郎に、静かに声を掛けた。

「五歳の時から今日まで、地道な稽古によく耐え、技を習得した。これからは一人前の大人として、自ら修行をしていくことだ。元服のお祝いとしてこの刀を取らす。」

と言って、二本の大小の刀を差し出した。大刀は二尺三寸(約70cm)、南紀重国の作であり、祖父が家康からご褒美として拝領したものであった。脇差は一尺五寸(約45cm)の無名の刀であるが、直刀に近いすっきりとした形であった。父は更に言葉を続けた。

「この刀は大事に仕舞っておいたが、そのままでは宝の持ち腐れになる。これを用いて、徳川家の恩顧に報いることだ。それから元服後の新しい名前の事だが、龍之進と改めよ。竜から龍への変身じゃ。」

と言って、大きな紙に書いた龍之進という名前を皆に見せ、祝の酒を龍之進に取らせた。龍之進は刀を授かったことより、名前が龍に変身したことに感激していた。何か蛹から大空に羽ばたく蝶になったように感じたのだった。母ゆりは袖をそっと目に当てていた。あの小さかった竜太郎が…思い出と寂しさと感激が入り混じった感情に涙が止まらなかった。十一歳になった妹のさちは、兄が遠くに行ったような寂しさと、何故か眩しさを感じていた。また末席に控えた源助爺、佐吉それにお種婆さんも、零れる涙を抑えきれないでいた。その後、ひとしきり談笑が続いたが、最後に父が一言付け加えた。

「もうこれで稽古が終わったわけではない。儂より強い奴はいくらでもいる。つまり相手の懐に飛び込む前に、切られる事もあるという事だ。そこでそういう場合に備えて、必殺の剣を編み出さなければならないのだ。これは人から教わる剣ではだめだ。自分で工夫して編み出すしかない。山に一人籠って修行をしなさい。明日準備して明後日出発しなさい。期間は必殺剣を編み出すまでだ。一年で終わるか、二年で終わるかは分からないが、編み出すまでは戻ってこない事だ。」

と、父からは厳しい言葉が発せられたが、龍之進は意外と喜びに溢れていた。新天地で自分の修行が出来る、自分自身を試すことが出来るのだと。

次の日は忙しい一日となった。母はこんな日も来ようかと考えて、新しい着物や稽古着を用意していたのだった。それを広げてじっと見つめていると、時の経つのを忘れる程であった。竜太郎が生まれてからの色々な出来事が、次から次へと思い出されていた。

「母上は何を考えているのですか。」

娘のさちからの問いかけで、ハッと我に返った程であった。龍之進は源助爺と、どこで修行をしたらよいか相談していた。最終的に候補地に決まったのは、青梅街道の奥の山中という事になった。修行の場所が定まるまで、佐吉がお供をしていく事になった。場所が分からないと、屋敷で何かあった時に連絡が取れないからだ。

その日の夕餉は静かであった。皆がそれぞれの思いを胸に抱いていたが、誰も話をする事はなかった。

次回 地龍の剣3 に続く

前回 地龍の剣1

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。