カンボジア アンコールトム 2

アンコールトム 1 の続きです。

さて今日はアンコールトムのなかに入りましょう。このアンコールトムはクメール王朝の12世紀にジャヤーヴァルマン7世によって建設された都市です。この3㎞四方の都市の中に色々な遺跡があるようですが、その中で中心部にある最も有名なバイヨン寺院に行きました。バイヨンとは美しい塔という意味だそうです。下の写真はバイヨン寺院の前景です。南大門から北に真直ぐ行った所にあります。中央の塔は高さ43mです。

ここもそうなのですがアンコール遺跡群はすべて石でできています。まず疑問は遺跡群すべての石をどこから持ってきたのだろうということです。その石切り場の跡は見つかっていないと思うのですが。また組み立て方法はどうなんだろう。エジプトのピラミッドも本当のところはわかっていないわけですが同じような方法なのか?こちらのほうがピラミッドよりかなり複雑ですのでどんな方法なのかなと思います。

下の写真は中に入ってから見たものです。細かいところはかなり崩れています。塔の上部は「四面像」がたくさんあります。四面像とは石柱の4面に大きな顔を彫った像の事です。なおこの顔は東西南北を向いています。この顔は仏像とも戦士ともジャヤーヴァルマン7世の顔ともいわれています。

下の写真は寺院の入口廊下の一部ですが、屋根は崩壊しています。面白いのは手前の回廊の入り口の門は長方形ですが、奥の寺院の入り口は上が曲線系になっていることです。この上部曲線構造はイスラム建築によく見られますが、何か繋がりがあるのか、それともクメール独自に出来たものなのか興味があるところです。写真で見えるように、この写真の2番目の入口の上は天女さんがくねくね踊りをしています。同じような構図が各所に見られました。荘厳な寺院にくねくね踊り。面白い組み合わせですね。

下の写真は壁面の彫刻です。行軍の様子を描いています。像に乗った戦士も見られます。

下は木に繋がれた牛と農民です。農民は半裸体で紐のたすきとふんどし姿です。この図は牛をめぐって農民が争いをしているように見受けられます。なお牛は水牛ですね。

下の写真の右下に見える階段で寺院の上部に上がっていきます。

その途中から塔の上部を眺めた写真です。これも屋根がないから撮れた写真です。マチュピチュでもそうですが遺跡に屋根はありません。たぶん屋根部は重い石では難儀するので、木で作ったため朽ち果てたのでしょう。

明日は「クメールの微笑み」といわれる四面像を中心に取り上げます。次の記事

2017年2月27日 記

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。