救出の巻2
帰りの漕ぎ手は佐吉だ。お種婆さんのおにぎりを頬張りながら下って行く。三人とも川の東岸を見ていた。ほとんどは草に覆われた川岸だった。その時帆を広げた日本橋水運の船が上流に向かって上がって行った。龍之進はまた閃いて言った。
「そうだ。日本橋水運に頼もう。水神組の舟が川向こうで接岸したところを見かけた事がないかどうか。ないなら注意して見張ってくれないかお願いしてみよう。佐吉、帰ったら直ぐ徳次郎さんに会って頼んでみて下さい。弥助は勇五郎親分とお滝さんに、女の子が売られた場所を特定できないか頼んで下さい。私は吉原の甚右衛門様にお会いして、怪しい素性の禿(かむろ)がいないか聞いてきます。」
舟が屋敷に着くと、佐吉と弥助はそのまま目的の場所に向かった。龍之進は父に水神組偵察の報告をした。話を聞いた清之進は、
「成程、そうかもしれないがもう少し確証が要るな。佐吉や弥助の線もどうなるか。甚右衛門の吉原もどういう事実が出てくるか。まあ、直ぐは新しい情報は出て来ないと思うが、やるだけやってみなさい。」
と言って、龍之進の考えを支持してくれたのだった。
吉原の妓楼西田屋の居間で龍之進は待っていた。吉原の喧騒が聞こえない静かな居間にいると、龍之進の雑念は消え心静かな境地になっていった。甚右衛門が禿を伴って現れた。十歳位のおかっぱ頭をした可愛らしい女の子であった。この子はどういう経緯で此処へ来たのだろうかと思いながら、お茶を運んできてくれた姿を見ていた。
「龍之進殿、久し振りじゃのう。今日は何の用かな?」
「甚右衛門様、ご無沙汰しています。実は今日は早速お力を借りたくて参りました。」
とその後龍之進は人攫いの話と隠れ家の探索を説明をした。その話を目を閉じて聞いていた甚右衛門はしばらく考えていたが、ゆっくりと口を開いた。
「話は分かりました。が、禿の過去を訊くことは意外と難しいのです。此処に来ている女達は様々な不幸を背負って此処に来ております。また此処に来たからには過去のしがらみ一切を断ち切ってもらわねばならないし、断ち切らないと出来ない仕事なのです。過去を掘り返す事はこの吉原ではご法度なのです。」
甚右衛門はここで一息ついて龍之進をじっと見つめた。龍之進はただ真っ直ぐ見返していた。甚右衛門は決心したように再度口を開き始めた。
「が、しかし、攫われて此処に来たという女の子があれば、忌々しき問題ですな。攫われた女の子を使っているとなれば、吉原も人攫いの片棒を担いでいるのと同じです。龍之進殿、しばし時間を頂きたい。四~五日かかるやも知れぬ。普通に聞いたのでは話してくれません。ここは儂が直に禿に話をせねばならないのです。吉原の各妓楼を一軒ずつ回って話を聞いてみましょう。」
「甚右衛門様、お手間を取らせますが何卒よろしくお願い致します。」
龍之進は辞去の挨拶をして吉原を出てきた。屋敷に帰ると佐吉と弥助はすでに帰っていた。日本橋水運の徳次郎と勇五郎親分は、探索依頼を快く引き受けてくれたようだった。夕方薄暗くなった頃、女髪結のお蘭が龍之進を訪ねて来た。
「龍之進様、堀留町で私を助けてくれましたよね。あの時の男一人があそこら辺でウロウロしています。そして一日中通行人を見張っているようです。もしかしたら仕返しをするために、龍之進様を探しているのではないかと思うのですが。」
横で聞いていた父清之進が即座に返事をした。
「多分そうだろうな。我が屋敷を探し当てられると面倒な事になる。出かける時は堀留町を迂回しなさい。出掛ける場所によっては舟を使うのも一つの手だな。正月も迫っているのに、ご近所に迷惑は掛けたくないでな。」
龍之進はお蘭にお礼を言って、一緒に夕餉を食べて行かないかと誘った。お蘭は龍之進と一緒に居られる時間は欲しかったが、幼い妹たちが夕餉を待っているのでそうもいかないのだった。お蘭はやんわりと断り、後ろ髪を引かれる思いで帰って行った。お蘭の帰った後、いずれ水神組と全面戦争になるだろうなと龍之進は感じ始めていた。
次の日の夕方、氷川の名主の清兵衛の所に飛脚が手紙を二通持って来た。一通は龍之進から清兵衛への手紙であった。もう一通の手紙はお葉への手紙であった。清兵衛はその宛名を見ただけで嬉しくなっていた。龍之進がお葉の事を忘れずにいてくれたのだ。お菜実は慌ててお葉を呼びに行った。お葉は餅搗きに使う道具を洗っていたのだが、お菜実の龍之進の手紙と言う言葉に、洗っているものを放り出して清兵衛の所に走って行った。清兵衛は黙ってお葉に手紙を差し出した。が、お葉はジッと立ったまま手紙に手を出そうとしなかった。
清兵衛がお葉の手に手紙をそっと乗せると、お葉の頬にツツーと一粒の涙が流れた。そしてお葉は部屋の隅に小走りに行って、龍之進からの手紙をそっと開いた。清兵衛とお菜実は娘をいたわる様に見ていた。手紙を開くと同時にお葉の手にあの簪が転がり込んだ。龍之進の選んだあのユリの簪だ。そのユリの高貴な姿を通して、お葉は龍之進の姿を瞼に思い描いていた。山での楽しかった色々な出来事が、ついこの間の事の様に思えた。そして手紙をゆっくりと読み始めた。しばらくして手紙を読み終えたお葉の顔は明るく輝いていた。そのお葉の顔を見て、清兵衛とお菜実は娘の将来に希望の光を感じたのだった。
次回 地龍の剣35 に続く
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