地龍の剣1

  幼少の巻1

荒く吐く白い息が、対峙する父の姿を霞ませていた。右から来るのか、左から来るのか、僅かな気配を知るには邪魔な息であった。そうだ、息を止めればいいのだと思った瞬間、父がスッと前に出て、竹刀がまっすぐ上から頭に落ちてきた。出遅れたと感じた体が、瞬間左に捩じって躱そうとしたが、右肩に鋭い衝撃と痛みが走った。父は静かな声音で言った。

「今、余計な事を考えていたな。相手に集中してないからこうなる。」

徳川幕府が出来て十九年後の、元和八年(1622年)の正月の朝、江戸のある旗本屋敷の出来事であった。竹刀を持っているのは峰山清之進、素手でその竹刀を躱そうとしているのは八歳の息子の竜太郎であった。竜太郎は肩の痛みに歯を食いしばって耐えていた。稽古は一刻程続いていたので竜太郎はかなり疲れていたが、父は

「もう一度参る。」

と無情にも宣告した。竜太郎は、今度こそはと気を引き締めて身構えた。父は上段に構えた竹刀を真直ぐに振り落とす。と見せかけて斜め横から竹刀が伸びてきた。竜太郎は瞬時に体を屈みこませながら、父の腰に飛びつく。その上をビュッと唸りが通り過ぎていった。

「よくぞ躱した!」

父の声が頭上から聞こえた。明け六つから始まった稽古が、漸く一区切りついたのだった。母ゆりの

「朝餉の支度が出来ています。」

と言う声で竜太郎はホッとして、桶の水で身体を拭き始めたのだった。

父、峰山清之進は六百石の無役の旗本であったが、実は秘密裏に将軍や江戸幕府を守る役目を負っていた。似た様な仕事はお庭番が務めていた。しかし家康としては更なる盤石な備えとして、秘密の任務を旗本の峰山家に課していたのだった。峰山家は三河以来の家来で、その頃から家康の目や耳の役目を担っていた。そして情報集めだけでなく、悪の芽があればそれを刈り取るために、密かに始末する事も許されていた。

普段は江戸市中に張り巡らせた情報網から挙がる噂話や不穏な話を吟味し、滅多にないが危険な悪の芽はそれを摘み取っていた。息子の竜太郎にはその役目を全うするために、剣の稽古を毎日課しているが、決して外の道場には通わせなかった。その理由は二つあった。一つは剣の稽古をしている事を悟られないためである。峰山家の仕事は極秘の仕事であり、他の旗本にも全く気付かれない必要があった。峰山家は無役で能力がない、と思わせておかなければならないのである。その方が情報が入りやすいのである。

二つ目の理由は、道場での稽古は竹刀の打ち合いになってしまうのだ。峰山家の代々の剣法は、打ち合いを禁じていた。何故なら刀を打ち合わせれば動きが止まり、別の相手に横や後ろから切られてしまうのだ。そうならないためには、相手の剣を刀で防ぐのではなく、躱しながら相手を切る剣が必要であった。しかしその剣を躱すのがかなり難しいのだ。竜太郎は五歳の頃から、その修練を重ねてきたのであった。もっとも始めた頃は、父の竹刀の動きもゆっくりであったが、最近は竹刀を振る音が少し聞こえるほどの速さになっていた。

朝餉は台所に隣接した板の間で、一家そろって食べる事になっていた。家族は父の清之進、母のゆり、長男の竜太郎、そして四歳の妹のさちの四人家族である。父は寡黙ではあるが、母や子供にそれを強いることなく、むしろ家族の会話を楽しんで聞いていた。朝餉の献立はご飯、みそ汁、焼き魚、漬物が定番であった。父の食事に対する注意は、ゆっくりよく噛んで食べる事と、満腹を戒め腹八分目で止めるようにとの事であった。それを守っていると、ほとんど病気になることはなかった。

他にこの屋敷にいるのは、先代から仕えている源助爺と、その下で働く佐吉、そして食事係りのお種婆さんである。源助爺はただの使用人ではなく、清之進が仕事に動く時は一緒に方策などを考え、ある部分を実行する役目も持っていた。佐吉は源助を補佐しているから、峰山家の役目は承知していた。普通の旗本はその石高に応じて、何人かの家臣を持つことが決められていたが、峰山家の場合、家臣は源助と佐吉の二人だけであった。その代わり江戸市中に、探索方の町耳目を五人程抱えていたのだった。

朝餉が終わると竜太郎は半刻程(約一時間)、妹のさちの遊び相手になった。折り紙やお手玉などを教えていた。それは竜太郎が四歳の時、母から教えてもらったのだった。竜太郎は熱心で、折り紙などは一日中折っていて、母を驚かせたものだった。

さちの相手をした後、又庭に出て木刀を振る稽古を一刻程行っていた。振る方向を上下左右あらゆる方角から行い、最後に右と左の片手突きを行って、合計五百回行わなければならなかった。この目的は、どんな方向にも瞬時に剣を繰り出せるための稽古であった。早朝の父との稽古は、躱しそびれると痛い目に合って大変なのだが、木刀を五百回振る稽古も厳しい物であった。でも十三歳になると、木刀を一日千回振るよう父から言われるのだが、今は知る由もなかった。

次回 地龍の剣2 に続く

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。