救出の巻4
次の日の早朝、龍之進と弥助は舟で向島に向かった。日本橋水運の船頭の仙蔵は水神組の舟が接岸した場所を避けて、水神組に見つからないよう少し下流の草むらに舟を着けた。川岸は林が続き、その向こうは田んぼが広がっていた。林の中にあった細い道を上流に向かって進むと、塀で囲まれた小奇麗な家があった。見つからないよう少し遠くから正面を見ると、竜宮庵と書かれた板が掲げられている小さな門があった。
そっと家の横に廻って弥助が木に登り、見つからないよう体を隠して塀の中を覗いた。家の回りは庭とそれを眺める縁側があり、四人の女の子が拭き掃除をしていた。掃除が終わったと思われる縁側では、三人の浪人がお茶を飲みながら何か話をしていた。すると尼が奥から出てきて、女の子に何か指示していた。しばらく弥助は見ていたがそれ以上何も起こらなかった。そこで木から下りて龍之進に小声で状況を説明した。尼と女の子四人がいて用心棒までいるのなら、此処が水神組の隠れ家だなと龍之進は確信した。
この家のもう少し上流側には、清之進の言った牛御前社が見えた。龍之進はそこに行けば何か話が聞けるのではないかと思い、そっと牛御前社に向かった。境内に入ると石で出来た撫牛(なでうし)が鎮座していた。これが有名な病に効く撫牛かと見ていると、丁度神主が通り掛かった。龍之進は撫牛の由来などを聞きながら、さり気無く例の家の事を尋ねた。
「この下に竜宮庵というのがあって尼さんが居るようですが、この牛御前社と何か繋がりがあるのですか?」
「アア、あの竜宮庵ですね。全く関係ありませんよ。元はどこかの大店の主の妾が住んでいた家です。それが知らぬ間に尼の格好をした女が住み着き、幼い女の子を集めて何か教えているようです。本物の尼は頭を丸めていますが、あの尼は髪を頭巾の下に隠している偽尼ですよ。」
神主の言葉に龍之進は喜んだ。隠れ家は尼寺でなく偽尼寺だったのだ。この事は直ぐ父に報告しなければならない。多分今頃は町奉行と打合せ中のはずだ。尼寺に踏み込むには寺社奉行の許可を取らなければならず、それでもめているのに違いないと龍之進は推測していた。龍之進と弥助は直ぐ舟の隠し場所まで戻って船頭に言った。
「仙蔵さん、おかげで水神組の隠れ家が分かったよ。悪いが急いで鍛冶橋の南町奉行所まで行ってくれないか。」
「龍之進様、分かりました。お安い御用で。」
船頭は力いっぱい漕ぎだした。さすがは漕ぎ屋の達人だ。弥助の漕ぐ倍近い速さで舟は進んだ。一緒に乗っている弥助は船頭の漕ぎ方をジッと観察していたのだった。
一方南町奉行所では峰山清之進と南町奉行島田利正及び定廻同心山岸左門の三人が、奉行所の内詮議所で打合せをしていた。奉行所にも水神組の悪評が届いていたが、江戸の水運事業もやっており少々の事は目をつぶっていたのだった。しかし人攫いとなるとそうはいかない。渋い顔をして島田奉行は言った。
「峰山殿、話は分かった。が、水神組が人攫いをやっているという証拠はない。そこでこの件は二段階で行こうではないか。まず向島の尼寺の捜索で、攫われた女の子の救出と尼を捕らえる事だ。そして尼の証言を取って、浅草の水神組に踏み込むという事になろう。」
その提案を受けて清之進も渋い顔で言った。
「そこで大問題が一つ御座る。尼寺を捜索するには寺社奉行のお許しが要るのだが、寺社奉行がこの状況証拠でウンと言うかどうか?」
奉行も同心の山岸もウームと言って黙ってしまった。その時、当番方の与力が部屋の廊下に来て報告した。
「お奉行、外に峰山殿の息子の龍之進と申す若者が来て、お奉行に会いたいと申しておりますが如何致しましょう。」
「オオ、そうか。きっと重大な情報を得たのであろう。直ぐ此処へお通しするように。」
奉行の言葉に当番方の与力は慌てて玄関に戻って行った。ほどなくして龍之進が部屋に現れた。
「お奉行様、お初にお目に掛かります。峰山龍之進と申します。以後よろしくお願い致します。」
「儂が町奉行の島田利正である。ところで早速だが、何か重大な知らせを持って来たのではないかな。」
「お奉行様、その通りです。尼寺の件で苦慮しているのではないかと思い、急いで戻って来ました。実は偽尼寺です。尼も居りません。尼の格好をした女が居るだけです。」
龍之進の言葉に三人は顔を見合わせた。そして龍之進は今朝の竜宮庵の偵察の様子と牛御前社の神主の話を詳しく報告したのだった。その話により先程までの難題は雲散霧消してしまったのだ。これで町奉行所独自で動けるのだ。定廻同心の山岸左門が嬉しそうに言った。
「お奉行、峰山様、これで明日にでも踏み込めますな。」
「山岸、普通なら慌てるでないと言う処だが、今回は早く女の子を救出せねばなるまい。明日辰の刻(午前八時)に出立しよう。」
奉行の言葉に清之進が答えた。
「お奉行、それが良いですな。ところで誰が行きましょうかな。」
「今回の目的は女の子の救出と偽尼の捕獲である。大騒ぎして水神組に悟られたくない。山岸左門、その方と目明しの勇五郎、そして清之進殿にご助力願えるかな。」
「拙者でなく息子の龍之進で如何で御座ろう。」
それを聞いて山岸が遠慮がちに言った。
「言い辛いのですが、龍之進殿の剣の腕前は如何程で御座ろうか。見張りの浪人が三人いるようですが、一人でも逃すと厄介な事になりそうなのでお尋ねするのですが。」
「オオ、そうだ、話に夢中で峰山殿の息子の話を聞いてなかったな。」
と言う奉行の言葉に清之進は息子の剣の修行の話をした。奉行は唸った。
「一年半も青梅の山に籠って修行をしたとな。今時そんな男は珍しい。どの位の腕前か実際に立合ってみなければ分かるまい。山岸、お主が立合うてみよ。それが一番分かるであろう。」
次回 地龍の剣37 に続く
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