昨日2月11日に高遠で400年ほど続くダルマ市に行ってきました。ウン十年振りです。小学生の頃は高遠に親戚があり、お花見やダルマ市などは何回か行きました。その頃とは高遠の町の雰囲気も大分変ってしまいました。行った時にたまに遊んだ友達のうち辺りを散策しましたが全く変わっていて分かりませんでした。
下の写真 – さて追憶は置いといて、ここがJRバスの高遠駅です。このすぐ後ろがダルマ市を開催する鉾持神社参道です。
下の写真 – 鉾持神社の参道は写真奥の大旗より奥は急な階段になりますので、露店はその手前の平坦な道と横道に60~70店舗ほどありました。昔はダルマ屋さんが多く出店していましたが、今は食べ物屋さんが8割ほど占めています。
下の写真 – 縁起物の飾りを売っています。
下の写真 – 招き猫ですね。
下の写真 – やっとダルマ屋さんに会えました。昔はお客さんが値切ろうと店の主人と丁々発止で、その回りは人だかりが出来ていたものですが今は寂しい限りです。ダルマの神頼みも神通力を失ってしまったのでしょうか。
下の写真 – 近頃の達磨さんはお人形ダルマになってしまいました。それでもあまり売れている様子はありません。
下の写真 – でも路地全体は凄いエネルギーが溢れています。3年間溜まっていたものが噴き出したのでしょうか。昔の活況を思い出させてくれました。
下の写真 – さてここからが長い石段の参道になります。高遠は狭い地形の為、神社や寺は山の斜面に作られ石段を登る事が必須になります。そのため日常のお参りは少ないようです。
下の写真 – 参道の横には大木が聳えています。木々や石段もこの大勢の参詣人に驚いているでしょうね。1年に1回です。
下の写真 – 30分位かかってようやく本殿前の広場に着きました。ここまでの石段は260段程ありました。本殿までは321段あるとの事であと最後に60段ほど登らなければなりません。皆様丁寧にお参りしているようで中々前に進みません。
下の写真 – と、横を見ると何やら誘惑をする文字が書かれています。「どぶろく」が飲めそうです。エイ!この際はお参りをやめてどぶろくだ!と列を離れてそこに向かいました。マー、何といい加減なお参りでしょう。実を取れです。
下の写真 – 鉾持神社の白い法被を着た女性がどぶろくを分けてくれました。この酒は酒造免許を取ってつくっているとの事です。
下の写真 – このどぶろくは米と米麹だけで造られた純粋な酒です。精米歩合は70%です。味は複雑です。甘酒を発酵させた形なので甘みがあります。そしてアルコール発酵を少し強めにしたと思われ酸味も感じられます。甘みと酸味が程よくバランスがとれ、すっきりとしていて濃厚な味わいでした。ここでしか飲めない絶品です。
さて、高遠にはお寺がたくさんあります。そのうちこの近場にある建福寺と蓮華寺に行ってきました。なお桜で有名な高遠城址公園の奥には狭い範囲に4つのお寺と1つの神社があります。桜見物に来られた折はそこを散策するのも一興かと思います。
下の写真 – 建福寺の門前です。やはり長い石段があります。鉾持神社には及びませんが55段くらいあります。この寺は12~3世紀に起こり、武田信玄が手入れもしているそうです。そして重要文化財の「紙本墨画中観音左右竜虎図」が保管されているとの事です。一般人では中々見る事が出来ないと思います。
下の写真 – 山門です。何て書いてあるのか分かりません。古文書が読めるようになれば良いのですが、身近に師匠が居りません。と言い訳をしてしまいます。
下の写真 – これが建福寺です。静謐の中に凛とした趣のあるお寺です。
下の写真 – 山門の石段両脇には有名な高遠石工が造った石像が小さな建物に入れられて保護されています。陽の光で陰影が強すぎてうまく写りません。曇りの日がいいかもしれません。
下の写真 – さて次は蓮華寺の入口です。やはり長い石段があります。ここは江戸時代に起きた絵島生島事件の絵島(本当は江島)が葬られたお寺で有名です。絵島は高遠藩に流され、囲み屋敷に幽閉されました。一歩も外に出る事は許されませんでしたが、絵島が信仰していた日蓮宗のお寺に行くことだけは許されていました。そのお寺がこの蓮華寺です。
絵島生島事件の真相ははっきりしていません。大奥の勢力争いという見方もあります。ただの大奥の綱紀粛正事件という見方もあります。それにしては江島の兄は斬首の刑になり、関係者50人位が遠島の刑になるなど異常です。綱紀粛正といっても大奥に大勢の女人を集め、品行方正を強いる事が無茶ですよね。殿さまには妾が何人も居るのに。マー跡継ぎの件があるので幕府としては仕方ないのですが。
下の写真 – 小さいながらも気品のあるお寺です。大工さんはどういう人だったのでしょうか。高遠石工ならぬ高遠大工なんてのがいたかもしれません。
下の写真 – 山門左にある観音像です。晩年の絵島は高遠藩主にも謁見できるほど素晴らしい人物になっていたそうです。この観音様がそれを象徴しているのでしょうか。絵島のお墓は大正5年まで忘れられた存在でしたが、文豪田山花袋がこのお墓を再発見し日が当たる様になりました。
下の写真 – 左下は日蓮大聖人の像です。そして後は鐘楼です。中々立派な鐘楼です。どんな音がするのでしょうか。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・
2024年2月12日 記 カメラ SONY RX100M6
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