地龍の剣43

   一刀斎と再会の巻3

一刀斎を先頭に五人は、母屋の囲炉裏のある居間に向かった。囲炉裏では大鍋で何か煮ていた。また囲炉裏の周りでは味噌田楽が並べられ、じっくりと炙られていた。美味しそうな匂いが漂い、皆余計に腹が空いてきたのだった。お光さんが大徳利を持って来て、皆にお酌しながら言った。

「味噌田楽は食べ頃だと思いますよ。鍋には村の衆が持って来てくれた猪肉が入っていますが、煮えるまでもう少し待ってて下さいね。」

そう言って台所に戻って行った。一刀斎は

「それでは龍之進殿の歓迎会を始めよう。先ずは乾杯だ。」

と言って杯を上げ、全員が飲み干した。

「この酒はいつ飲んでも美味い。」

一刀斎は空になった杯を見つめながら言った。西島が呟いた。

「一刀斎先生、この酒は切れ味が鋭く透き通るような味ですね。どこの酒ですか。」

「この酒か、水戸の手前の小原という所で、約五百年前、平安の頃から造られている酒じゃよ。武士である須藤源右衛門さんが造っているので、切れの良い酒になったのかもしれんな。」

「平安からですか。流石ですな。下り酒と比べても勝るとも劣らない酒ですな。水戸街道を上って来るから、上り酒とでも言いますかな。」

四十半ばの西島は、頷きながら大徳利をグイッと引き寄せて皆にお酌した。鍋からは湯気が吹き出した。川田は慌てて鍋を下し、猪肉と大切りのネギの入った汁を皆のお椀に分けた。皆、腹が減っているので猪肉にかぶり付いた。龍之進は、氷川でも猪鍋をお菜実さんが作ってくれた事を思い出したのだ。思い出の味と共に、懐かしいお葉の顔が浮かんでいた。実を言うと時折お葉の事が頭に浮かんでくるのだ。無性にお葉に会いたい龍之進だが、江戸の平穏が確立するまで会うのはもう少し待ってくれと心の中のお葉に詫びているのだった。

「ところで先の龍之進殿との立合いで、何か気付いた事はなかったかのう。」

一刀斎の言葉に、酒と猪鍋に現を抜かしていた三人は、ウッとなった。よく考えてみると、三人とも一瞬のうちに勝負を決められていたのだが、重大な事に気付いていないのであった。龍之進の動きが速いとか、竹刀の速さが違うなどと言ったが、一刀斎は首を縦に振らなかった。

「これが分からんとは情けないのう。そこがお主達の限界なのじゃ。竹刀を打ち合う音がしたかな?」

「そう言われれば、確かに竹刀の音はしなかったな。我々が稽古する時は、パンパンと音がするのが普通だが?」

と山崎は首を傾げながら言った。

「そうか。龍之進殿は我々の打ち込んだ竹刀を、竹刀で受け止めるのではなくて、体で躱しながら打ち込んできたのだな。」

「西島殿、正解じゃ。真剣の時は竹刀の様にひらひらと振れないのだ。そして一撃必殺で相手を倒さなければ、自分が危うくなるのだ。そのためには相手の太刀を体捌きで躱しながら、こちらの一撃で相手を倒すのだ。龍之進殿は幼い頃から、その訓練を父親に叩きこまれてきたのだよ。」

「そうでしたか。我々が勝てない訳だ。竹刀剣法では通用しないのかな。」

「そう断定することではない。安易に竹刀で受けをしない事じゃ。それを意識すると、体捌きが変わってくるのじゃよ。まあ、でも三十過ぎのお主達にはちと厳しいがのう。」

一刀斎の言葉に、皆真剣に考え始めた。が、酒好きな三人は片時も杯を下に置かない。酒さえあれば話はいくらでも続くのだ。龍之進に、今までの稽古方法や奥多摩氷川での修業内容などを、根掘り葉掘り聞いていた。しかし素手で打込みに向かって行く稽古は、三人にとって不可能と思われた。また此処は山がないので、氷川の山と同じ稽古は出来ないのだ。そして何より致命的な事は、三人とも年を取り過ぎた事だった。もう体が固まっていて、柔軟な動きやしなやかで速い動きは無理であった。それでも何だかんだと言いながら、夜遅くまで囲炉裏端は賑やかに話が続いていたのだった。

   辻斬りの巻1

その頃、江戸では月明りを頼りにある呉服屋の番頭が、川端を急ぎ足で歩いていた。場所は、日本橋と京橋の間に紅葉川があるが、そこに架かる中橋の近くだった。番頭は大晦日に取り逸れた売掛金を一日掛かって回収し、懐には八両程入った財布が収まっていた。これで主人には褒めてもらえるし、夕餉の膳に酒を一本付けてもらえると浮き浮きした気持であった。その時、川端に置かれた材木の陰から、男がヌーッと出て番頭の行く手を阻んだ。男の手に持たれた刀が月明りに煌めいた。

アッと思った番頭は後ろに逃げようと体の向きを変えかけたが、それまでだった。鋭い刃が番頭の首を横から深く切り裂いていた。倒れた番頭は遠のく意識の中で、今夜の晩酌が飲めなかったなあと思いながら息絶えたのであった。男は番頭の懐から財布を取り出した。その時男の顔は少し緩んだのだ。財布が思ったより重たかったからだ。遠くに人影が見えた。男は慌てて横の路地に入り込み、塒の煮売り宿に急いで戻った。女中に酒を部屋に持ってくるよう言いつけた。早く財布の中を見たいという欲望を押さえ、酒が来るのをじっと待っていた。

漸く酒が来ると、震えた手で杯に酒を満たし一気に飲んだ。それで男の気は鎮まったのだ。辻斬りは初めての経験だったのだ。金が無くなり金策のしようも無く、辻斬りをやらざるを得なかったのだった。懐に手を入れてそっと財布を取り出した。開けて見ると小判で八両入っていた。小判の光に照らされた男の顔は喜びと罪悪感で歪んでいた。その男は龍之進に切られた水神組の源之丞親分の弟、笹山右京であった。

次回 地龍の剣44 に続く

前回 地龍の剣42

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。