カンボジア アンコールワット 1

アンコールトム4 の続きです。

さあー、今日からアンコールワットの記事を始めます。アンコールは王都、ワットは寺院を意味します。12世紀前半、クメール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンズー教寺院として建設されたそうです。それに対してアンコールトムは12世紀後半に仏教寺院として建設されたことを考えると、宗教がコロコロ変わっていたことが想像されます。たぶん宗教はその頃の為政者にとって統治の手段ではなかったかと思います。

さてアンコールワットの入口です。アンコールトムと同じように周囲を堀で囲まれています。堀の幅は約190mということです。そして大きさは写真で見えている横方向(南北方向)が1.3㎞、奥行き(東西方向)が1.5㎞の長方形です。正面の入口は西です。写真は西参道で堀を渡っていきます。

下の写真は西参道からアンコールワットの左手方向を見たものです。左端で堀が曲がっているのがわかります。またアンコールワットの大部分は森であることが分かります。

下の写真は西参道正面の西大門です。そしてちょっとお気づきかと思いますが、参道の半分が大きく崩れているのが見えます。綺麗な右半分は1960年代にフランスが修理し、崩れている左半分は日本の上智大学が主となり修復している最中です。計画では2020年に修復完了するということです。日本は思わぬところで活躍していますね。

ところでアンコールトムは南大門からが正面の入口で、アンコールワットは西からが正面になります。これもただ西の方角というのではなく春分の日、秋分の日に太陽がきっちり主塔の中央祠堂上に出てくる位置に設定しています。つまりこのアンコールワット自体が暦になっているのでしょう。おそらく夏至や冬至に太陽の出る位置も把握されていたものと思われます。そのためには太陽を観察する位置も決定されていたと思います。どこかは分かりませんが。

ピラミッドも天体に対して方向性を持っているようですし、マヤの遺跡も太陽との位置関係で方向を決めているようですし、マヤのいくつもの都市は星座の星の位置と同じ配列で建設されたようです。(異論もあるようですが、カナダの高校生が発見しました。)昔の人は結構精緻な思考をしていたのではないでしょうか。

下は西大門の大写しの写真です。左右の遠くにアンコールワット本体の左右の塔が霞んで見えます。しかし主塔の中央祠堂は西大門の陰で見えません。そこがこのアンコールワットの凄い仕掛けになってきます。そして西大門にたどり着き、下の長方形の狭い門に入りますと………、

下の写真の様にアンコールワットの主塔が忽然と視界に入ってきます。水戸黄門の「この印籠が目に入らぬかー!」「ハ、ハーーー」となる仕掛けです。多分昔の人は、この突如現れた神殿の荘厳さに思わず「ハ、ハーーー」となったのでしょうね。我々でさえ「オオー!」となりました。因みにこの写真の左右の黒い部分は、入口の中の暗い左右の壁の部分です。ただここは通り抜け禁止ですので、覗いただけで別の入口から入りました。

さて下の写真は西大門左手の写真です。手前の右端に写っているのは手や足ではありません。九つの頭を持つといわれる蛇紳ナーガの後ろ姿になります。

門を潜ってからは明日のお楽しみです。

2017年3月2日 記

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。