死後は? 魂は永遠?

妄想恢恢、粗にしてお粗末

死んだらどうなるのだろう? あの世で小さい頃かわいがってくれたばあちゃんに会えるのかな? などの問いがいつも頭の片隅にありますが、それについて私の今現在の思い、いや妄想をここに書いてみたいと思います。ズバリ書くと、死後の世界はあるのか?魂はあるのか?そしてその魂は永遠なのかという問いです。いずれにしてもこの問いに関しては宗教者の方は答えを持っているでしょうが、一般人の私としては妄想恢恢で対処するしかありません。

まず魂はあるのかについてですが、何かの記事で人が死んだ時に体重がどうなるかを計ったら、死んだ直後に数g軽くなったという記事を読んだ覚えがあります。人が死んだ直後に体重は軽くなるというのが本当ならば、目には見えぬ何かが生きている人に存在していたと考えられます。もしあるならそれが魂というものかなと思います。ただ体重の変化については、例えば60㎏の人の体重変化を1g単位で計れるのかはかなり難しいような気がしますが、何らかの方法やかなり精度の良い計量器があるのでしょうか。

そしてよく聞くのは、病で床に着いていた人が夢の中に出てきてお別れなどを言い、数日後にその人は亡くなったというものです。こういう話は結構あるようで否定しがたいように思います。霊魂の存在と遊離はあるものと思われます。

それでは魂があるとして体のどこにあるのでしょうか。体全体? 頭? 心臓? 辺りが候補に挙がります。私は心臓と感じています。嬉しい、悲しいは心…心臓付近で感じます。計算や計画を練る時は頭で仕事しています。多分皆さんも冷静になって自分を観察してみると同じではないかと思います。しかし、心臓を解剖しても喜怒哀楽を感ずる器官は発見されていません。そこで一挙に妄想恢恢して心臓付近に魂というものがあり、それは物体でなく何らかの生命エネルギー体ではないかと考えます。心臓は体の中心であり、この心臓が止まったら死を迎えます。いや脳の方が大切だと思う方もあると思いますが、脳死という言葉が示すように脳の機能が停止しても体は生きている場合もあります。生命体にとっては心臓が要の臓器という事でしょうね。

地球上で生命がいつどのように生まれたかは分かっておりません。そしてその時生命エネルギー体があったのかなかったのか、また先だったのか後だったのか全く分かりません。にわとりと卵のどちらが先かという問と同じです。これについては永遠に分からないかもしれません。

此処から大きな妄想恢恢を始めます。まず魂又は生命エネルギー体と呼ぶものがあるとして仮定します。エネルギー体は固有の波形と振動数を持っているのではないかと思います。人の始まりの受精する時、精子と卵子にも親から分配された小さな生命エネルギー体が宿っており、受精によって結合します。そして受精卵は精子と卵子の二つのエネルギー体の融和したエネルギー体を持つ事になります。。そこで肉体的な遺伝子だけでなく、二人の性格を引き継いだ魂も出来る事になります。そして生まれた後他の人々と接すると、その人達からの生命エネルギー体の影響も受けていきます。振動数が調和する人には親しみを覚え、不調和の人には合わないなと感じるようになります。そうやって体が大きくなるにしたがって生命エネルギー体も大きくなっていきます。年頃になってお互いに一目ぼれなどは、お互いのエネルギー体の振動数が調和関係にある時ではないかと思っています。

そして年を取り体が衰えてくると生命エネルギー体も細く弱くなっていきます。死期が近づくとその魂の一部が、親しかった人へ挨拶に出向くのではないかと思います。そして肉体的に死んだ時、エネルギー体は体から遊離し次第に消えていってしまうのではないかと思います。ただ不測の死を迎えた人は残念という強い思いのエネルギー体が残り、それが他人に憑依する可能性もあります。極まれですが殺された人の記憶を持った赤ちゃんが生まれた事もあるようです。その赤ちゃんが大きくなって犯人の名前と自分の埋められた場所を話し、その場所を掘ったら本当に遺体が出てきたという事です。

とりとめもなくざっと書きましたが、この妄想恢恢の結論としては魂は消滅するとなります。夢のない悲しい結果で申し訳ありません。ただ生きていた時、他の生命エネルギー体と接した時にお互いに影響を及ぼすので、薄くなるけど名残は残ります。しかし自分という魂は消滅します。未来永劫再生されることはありません。つまり輪廻転生は無いという事です。悲しい事かもしれませんが、反対に考えるとまた生まれてきて様々な事に苦しむことはありません。私としては逆にこの事は救いになると思っています。死によって無になります。いや無という事からも関係ない事になります。だからいま生きているという事が奇跡であり、それだからこそ現実をより大切にしようと思うのです。マイナス思考で生きる事はしたくありません。プラス思考で行くことを考えています。死についても……。

色々な宗教では死んだ後に悪人に対する制裁や教導が行われるようですが、現実世界を見ると昔より極悪人が増えています。どうしてかな?というのが私の感想です。

ということで魂について今はこんな妄想をしていますが、いつ何時ころりと変わるかもしれません。皆様の考えの一助になればと思っています。

2022年1月10日 記

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。