権現山 登山1

8月27日に久し振りに登山に行って来ました。長野県伊那市にある権現山1749mです。権現山がどこにあるかの地図を見てください。有名な「かんてんぱぱ」の近くで、伊那スキーリゾートの奥の山です。

下の写真…これは権現山がある尾根(権現づるね)を横から撮った写真です。画面右のもう少し行った所に、中央アルプス将棋頭山2730mがあります。昔は中央アルプス駒ケ岳に行くには、この長い尾根を登っていったようです。今は又この道を使おうという事で、いくらか整備され登れるようですが、道の整備がまだ不十分などで、将棋頭に着くには7時間くらいかかるようです。

下の写真…伊那市西春近の常輪寺横手の林道を車で行き、その終点です。高度は1350m位で、昔の登山道の二合目になるそうです。

下の写真…登り始めて少し行った所の写真です。このコースは展望が全くありません。また全山笹に覆われています。この尾根の谷筋には熊がかなり生息していて、時折下の集落に出没します。

下の写真…途中に江戸時代から大正時代にかけて競馬場だった場所がありました。でもこの競馬は山仕事の合間に楽しみでやっていたそうです。窪んだ笹地の所で画面左にもう少し長くあります。

下の写真…伊那スキーリゾートコースからの合流点です。ここまでは約1時間です。そしてここから権現山頂上は15分位で到着です。ただし傾斜は今までよりきつくなります。

下の写真…権現山頂上1749mです。大きな岩がありその手前に社があります。

下の写真…社は石で出来ていてなかなか立派です。

右手には登頂記念の看板がたくさんあります。西春近北小学校の生徒さんの集団登山や、東春近公民館の行事で登山をしているようです。

下の写真…日本の山を世界に紹介したウォルター・ウエストンが明治24年にこのコースを、駒ケ岳からの下りで使いました。もっと古い話では1756年に高遠藩の坂本英臣(坂本天山の父)が宮田から駒ケ岳に登り下山路にこのコースを使っています。由緒ある道ですが、現在はもっと登り易いコースがあるため、ここを歩く人は少ないそうです。でも権現山までは皆さん良く登ってくるようです。

下の写真…山頂からの眺望です。左下に見える街並みは伊那市中心街です。中央から下に流れている川は三峰川(みぶかわ)です。その三峰川による大きな田切地形が見られます。後に見える山並みは南アルプス北部で、中央ちょっと左の丸いなだらかな山は入笠山1955mです。

下の写真…上の写真の左側の台地を望遠で撮っています。ここは今は住宅や工場などがありますが、太平洋戦争時代はここに戦闘機の訓練用の飛行場が住民の奉仕により造られました。もし実戦機がここから飛び立っていたら、伊那谷も空爆を受けていたかもしれません。昭和20年代終わり頃はこの飛行場から遊覧飛行機のセスナ機が飛んでいたこともあったようです。今はご覧のように家や工場が建っていますが、遺構も少し残っています。

下の写真…もう少し南寄りを撮った写真です。南アルプスの主峰の一部が見られます。画面中央の尖った山が甲斐駒ケ岳2967m、その右の大きな山が仙丈岳3032m、最後の木に隠れそうな山が北岳3193mです。手前の低い山々は伊那山地といい、この間を中央構造線断層帯が通っています。そしてパワースポットのゼロ磁場で有名な分杭峠もここにあります。

2017年9月13日 記  カメラ SONY  RX10Ⅲ

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タイに仕事で10数年滞在していました。日曜日はゴルフをしていましたが、ある時花の綺麗さとカラフルな鳥の美しさに気付いてしまいました。  それからはカメラをバッグに入れてゴルフです。あるゴルフ場では「写真撮りの日本人」で有名になってしまいました。(あ、ゴルフ場には迷惑をかけておりません。)それらの写真をメインに日本での写真も織り交ぜて見ていただければ幸いです。 また、異郷の地で日本を思いつつ自作した歌を風景の動画とともにご紹介していきたいと思っています。